Episord 12 幕開け

 ここはロンドン...EMIスタジオ。
製作会議が開かれていた。毎週火曜日は、発売が予定されているレコードを試聴する日でもあった。営業担当の12人の出席者には、これから聴かされる曲のアーティストは知らされていない。彼らは、その場で今聴いたばかりの曲についての判定を下すのである。
多くの曲の中に、ビートルズの「ラブ・ミー・ドウ」もあった。
評価は分かれた。と言うよりも、むしろ殆どが否定的な評価だった。「ラブ・ミー・ドウ」は、これまで全く聴いたことがない曲調であり、戸惑いが先にあったと言うべきかも知れなかった。
だが、この場の議長であるロン・ホワイトは、この曲を気に入った。ジョージ・マーティンの手によるものであるということも彼に迷いを生じさせない一因となり、結局、このレコードは「評価すべきだ」ということになったのである。

 ところで、ロン・ホワイトは、後で知らされたアーティストの名に聞き覚えがあった。オフィスに戻った彼は、そこで思い出した。数カ月前にブライアン・エプスタインという男が売り込みに来たグループの名がビートルズというのではなかったか!
彼の脳裏に、さまざまな思いが駆けめぐる。
そう言えば、あの件には、ジョージ・マーティンが関与していなかったのだ。ホワイトは、自分たちが否定したグループを最も信頼しているあのジョージマーティンが評価したという事実に愕然とするのである。

困惑したロン・ホワイトは、エプスタインに“詫び状”とも言うべき手紙を書いた。彼は、過去に自らが下した評価を恥じていると素直に述べ、さらに今回、彼らを素晴らしいと感じたこと、そして契約が交わされたことを非常に嬉しく思っているということをこれ以上はないと思える表現で記するのである。
彼の一番の気掛かりは、天下のEMIが、組織内に混乱をきたしていると見られることであった。
「今回、手紙を差し上げましたのは、貴殿からご覧になれば、我々の組織の異常とも思われるに違いない事態を釈明したいと考えたからにほかなりません。私たちが真剣にレコードを聴いたことは誓います。しかし、製作部長といえども、意見が変わるということは、貴殿にもご理解いただけることと存じます」

エプスタインは、折り返し感謝の手紙を出している。最初に却下されたことをあれこれと言うことは一切なく、それはホワイトをほっとさせたのであった。
エプスタインは「ラブ・ミー・ドウ」をヒットさせようと、かなり熱心に売り込みをしている。考えられるあらゆることをしたようなのだが、本人はこれを否定する。ビートルズは、あくまでも自然な勢いで売れて行ったのだと。

ロンドンのEMIという大企業から出たというだけで、「ラブ・ミー・ドウ」は、全国的に注目を浴びた。しかし、当初のイメージは、やはり風変わりであるというものが多かったようだ。
1962年10月24日、全国チャートで48位となり、少しずつこの曲は浸透していく。大ヒットというわけにはいかなかったが、ランキングで17位にまで達した。
この時点でも、まだまだエプスタインに対する周囲の心配は続いていた。“あんな連中”と係わり続けると、エライことになるぞというような忠告である。相変わらず、彼の両親も、「ビートルズがプレスリーよりもビッグになる」というブライアンを案じていたのである。

 ジョージ・マーティンは、自らが評価し、契約したリバプールの若者達が、間違いなく素晴らしかったという証明をする必要があった。「ラブ・ミー・ドウ」で注目を浴びたからには、彼らに大ヒット曲を与えなければならない。
彼は手を尽くして、これならば!という曲を見つけ、エプスタインに連絡する。エプスタインは、ビートルズに聞かせるが、彼らはこれを拒絶した。こんなものは...というような酷評なのだが、エプスタインは、もちろんそれを当たり障りのない表現に改めて、ジョージ・マーティンに伝えた。
「ビートルズもあの曲を大変気に入っております。しかし、彼らは、やはり自分たちで作った曲をレコーディングしたがっているのです。どうしたものでしょうか?」

ジョージ・マーティンは、フトコロの広い人物のようだった。自らが苦労して見つけた、これならばという曲を拒絶されたにも係わらず、それよりもいい曲であれば、それでもかまわないと答えているのだ。
ジョージ・マーティンとの出会いはビートルズにとっては、幸運という以外に言いようがない。普通は、こうはいかないだろう。ビートルズが、ジョージ・マーティンが用意した曲に対抗する曲として用意したのは、「プリーズ・プリーズ・ミー」だった。なるほどあの曲ならば!!と多くのファンは思うのではあるまいか。だが、繰り返すが、やはりジョージ・マーティンは偉大だった。

ジョン・レノンが作った“最初”の「プリーズ・プリーズ・ミー」は、とても使えないシロモノだったそうなのである。ジョージ・マーティンによると、それはスローで、悲しげで?、全く売れそうもなかったと言う。
ジョンは、ビング・クロスビー(「ホワイト・クリスマス」という大ヒット曲がある)の「プリーズ」という古い曲からタイトルをつけ、さらにロイ・オービソン(「プリティー・ウーマン」をヒットさせた)風ファルセット唱法で歌っていたのだ。
ここから、ジョージ・マーティンのマジックが始まる。彼は、このままでは使えないが、リズムをアレンジし、テンポを上げればなんとかなるだろうと主張するのである。ビートルズもこれを受け入れた。

私達が知っているあの「プリーズ・プリーズ・ミー」は、こうした経過によって日の目を見ることになる。
ジョージ・マーティンは、実際にそうして改められた「プリーズ・プリーズ・ミー」を彼らが歌い、演奏するのを聴いて、すぐにピンと来たという。

これは間違いなく彼らの最初の大ヒットになるだろうと。

J L