Episord 50 ジョージの新天地

 ジョージ・ハリスンがインド音楽に惹かれたのは、ほんの偶然からだった。映画「ヘルプ」の撮影中、インド・レストランで食事をするというシーンがあり、そこでインドの演奏家がビートルズの曲を演奏することになったのである。アレンジャーが苦労の末にインドの楽器用に書き改めた楽譜(「ハード・デイズ・ナイト」だった)をインド人達が演奏しているのをジョージが聞きつけた。
どういう状況であったのかは定かではないが、少なくともジョージは、耳慣れないサウンドに津々たる興味を示したのである。シタールを手にとった彼は、すぐに基本的なことをマスターした。といっても、まあ、要するにメロディーが弾けるようになったという程度だとは思うが。

アルバム「RUBBER SOUL」に収録された「ノルウェーの森」では、早速、ジョージのシタール演奏を聴くこととなる。シタールはジョージにとって魔法の杖のようなものだったかも知れない。彼は初めて、ジョンとポールに何も言わせることなく演奏することが出来たのだから。
ジョージ・ハリスンがインドの楽器を演奏していると言うことが話題となり、当時の音楽雑誌にも盛んに取り上げられたものである。だが、一般的な反応はどうであったろうか。
私自身のことで言えば、シタールという楽器がいかなるものか把握出来ず、ギターでも、こういう音は出せるのではないか、などと思ったことを覚えている。少なくとも日本人で、ジョージのシタール演奏に感銘を受けたという人間はそう多くはないのではなかろうか。

だが、外国のミュージシャン達には、シタールの音は何やら神秘的なものがあったのだろう。例えば、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズは、この楽器に魅せられた1人であり、彼らのヒット曲「黒くぬれ!」で、早速、シタールを使用している。(後にブライアン・ジョーンズは亡くなる)
キンクスのデイブ・デイビスは「シー・マイ・フレンズ」でシタールを使った。ドノバンもすぐにシタールを手に入れた。まあ、ちょっとしたシタール・ブームが起きていたのである。
映画「HELP!」の中で食事のシーンが、日本食のレストランという設定だったらどうだろう。このエピソードは後に知ったわけだが、ジョージが東洋のシタールという聞き慣れない楽器を演奏していると知った時、東洋の楽器なら日本の楽器でも良さそうなものじゃないか、などと思ったものだ。
もっとも、当時、そういうことを言っても冗談としてしか受け止められなかったが。

シタールの名手ラビ・シャンカールは、10歳の時にインドからパリへ行く。兄がヒンズー舞踏団リーダーで、家族して移り住んだのだ。もともと音楽が好きだったラビは、学校卒業後、アラウディーン・ハーン(「カーン」とも)についてシタールを学ぶことになった。
1日12時間の猛練習を続けたラビは、21歳ともなると名人クラスの腕を持つようになる。国際的な公演活動を続けるようになり、少しずつその実力が知れ渡っていく。彼は、ロンドン交響楽団、あるいはジャズ奏者といった音楽家たちとも共演するという柔軟な考え方の持ち主で、伝統的なインド音楽を愛する者達からは、しばしば非難された。
しかし、実際にラビの演奏を聴けば、そんな言葉は消えてしまったという。彼は実力で、古い考え方の持ち主の口を封じることが出来たのである。

ジョージ・ハリスンはインドを訪れ、このラビ・シャンカールについて学んでいる。期間は6週間。ジョージは、ギターを始めた時のように独習しようとしたようだが、やはりどうにもならなかったのだろう。ジョージが6週間で学ぼうとしたのは、やはりビートルズの作品中に使うためのものであって、彼自身がシタール演奏家になろうとしたわけではないと思うのだが、最初の頃は、必ずしもそうとも言い切れないところがある。

そうとう真剣にシタールを学ぶ姿勢を見せて、ラビ・シャンカールも彼の姿勢を認めていたようだ。
ラビはシタールを独学しようとするのは無理だとジョージにはっきと告げる。適切な指導なくしては殆ど進歩はないだろうと。
この頃、ラビはジョージがいかに有名人であるかということが解っていなかったようで、もっと徹底して学ぶためにインドを訪れるように熱心に勧めている。
残念ながら、ジョージにはビートルズの仕事があった。少なくとも、この時点では、ビートルズから離れてしまうという発想はなかったようだ。しかし、ジョージとラビとはその後も友情を保ち続けることになる。ジョージにとっては、インドの楽器からインドに対する興味を持ったことが大きなことだったのではなかろうか。

「音楽を通じて、精神的な部分に到達したんだ。これをきっかけに、僕はヒンズー教徒になった。ヨガや宇宙的なお経を唱えることで得られる高揚感は、クスリなんかで得られるものとは全然違うものだ」どんどんインドにのめり込んでいくジョージを他のビートルズのメンバーも興味深く見守っていた。
それまでかなりジョージに辛く当たっていたポールも、こんな風に語り始める。「ジョージが偉大なる信仰を持っているということをある意味で羨ましく思う。どうやら彼は、ずっと探し求めていたものを見つけたようだ」
エプスタインは、何処にいてもビートルズについて質問されていた。「ビートルズは本当に解散してしまったのですか?」
実際、ビートルズファンからすると、いったいビートルズは何をしようとしているのか解らなかったのである。

ジョン・レノンはスペインで単独で出演する映画撮影に入っていた。リンゴもこの撮影現場にジョンを訪ねていた。(これはおそらくジョンが呼び寄せたのではなかろうか)
イギリスではもう1年以上彼らの姿を見ることが出来なかったのだ。そのたびにエプスタインは言わねばならなかった。
「ビートルズの引退なんてあり得ませんよ。ちょっと気分転換をしているんだけです。映画に出たり、曲を書いたり、レコードをつくったりしているんです」

しかし、エプスタインの周辺にいる者は彼の変化に気づき始めていた。元々彼は、1つのことに集中するとそれ以外は目に入らなくなるタイプであったが、それが際立って来たのである。何かの仕事に取り掛かると、他はどうでもよくなった。山のように抱えていた仕事は、もはや、コントロール出来なくなっていたのである。

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