Episord 68 オノ・ヨーコ

 ロンドンのインディカ・ギャラリーには多くのアーティストが集まった。トニー・コックスとその日本人妻、オノ・ヨーコもその一員だった。ヨーコは1968年にトニーとロンドンを訪れていた。彼女の最初の結婚相手は一柳慧(いちやなぎとし)。ジョン・ケージに師事した現代音楽の作曲家、ピアニスト。実験的音楽を多く発表しているから、ヨーコとの繋がりも何となく想像できる。
二度目の夫、トニー・コックスについては、あまりよく解らない。美術プロモーターと言うことである。ヨーコはコックスとの間にキョーコをもうけている。ヨーコは、“芸術における破壊シンポジウム”に参加するようなヒトで、まあ、その後の彼女の活動を見ると、昔からやっていることはさほど変わっていないのだということが解る。

1966年11月6日に、ヨーコの「未完成の絵画とオブジェ展」は開催されることになっていた。前日、展示の最終チェックをしていた。ヨーコは、いつものように黒いセーターとスラックスを履き、黒い長髪を肩から垂らし、いかにも東洋の女性そのものといった出で立ちである。
彼女はこの展覧会をするにあたり、ジョン・ダンパーと係わっている。ジョン・ダンパーはジョン・レノンの友人でもあった。2人のジョンはウマが合った。ドラッグ仲間と言っても良かった。レノンとダンパーは、2人して無人島に“アシッド・トリップ”に出掛けたこともあり、それは知る人ぞ知る有名な話になっていたほどだった。ダンパーを探しにジョンがやって来た。このときダンパーがジョン・レノンをヨーコに紹介している。

2人の出会いは、何度も語られている。しかしその話は、目にするたびに少しずつ違っている。本人達も時と場所によって、あるいは気分によって、色んな風に語っている。ただ、共通しているのは、こんなようなことである。
ジョンが地下の展示室に案内され、天井に張り付けられた画に興味を示した。そこには踏み台が用意されており、それに登って作品に近づき、天井から吊された虫眼鏡で作品を見るというものだった。
その作品を覗いてみると、そこには「Yes」と書かれていた。それに大いに感激したジョンは他の作品も見て廻ることになる。
ヨーコはその時、常にジョンに寄り添うように腰に手を回したまま案内したと言う

「クギを打ち込む絵」というタイトルの作品があった。見る者が各自釘を打つことで、アートとして成立するという作品だそうだ。
このアイディアをジョンは大いに気に入り、クギを打っていいかと尋ねたが、ヨーコは断った。ジョン・ダンパーはレノンに打たせるように頼む。渋っていたヨーコは、打たせるが5シリングの代金を要求した。
するとジョンは、5シリング払ったとして想像して、自分がクギを打ったと想像することにしようと応じた。

他にはこういう書き方もある。
「あたりを見回すと、『金槌とクギ』という作品があって、板から鎖で金槌がぶら下げてあって、下の方に一つかみのクギが置いてある。僕は言った、クギを1本打っていいかい?そしたらダメだって言うんだ。そこでジョン・ダンパーが彼女を向こうに連れて行って...」
ヨーコは、オープニングの前だから誰にも手を触れてもらいたくないと言う。

「そこで奴が彼女を隅のほうへ連れて行って言った−あいつは大金持ちなんだ。いったい誰だか知っているのかい?彼女は僕が誰だか知らなかった」
「ともかくだね、彼女はまたやってきて、5シリング出したら、クギを1本打たせると言った。ボクは言った−僕はきみにウソの5シリングを払って、ウソのクギを打たせてもらうことにするよ。そこからすべてが始まったんだ」

しかし、また当の本人であるジョンが、こんな風にも語っている。
「そこに『クギをハンマーで打ち込め』って書いた掲示板があったんで、ボクは『やってもいか』って訊いたんだ。ヨーコはダメだって言ったよ。ショーは翌日からだったからね。でも、画廊の主人が出てきて、ヨーコに小さな声で言ったんだ『やらせなさいよ。この人は大金持ちだから、買い上げてくれるかも知れないよ』。二人は、しばくらヒソヒソやっていたけれども、結局、ヨーコが『いいわ。5シリング出してくれたらやってもいいわ』って言ったんだ。


お利口ちゃんの僕は、『わかった。5シリング君にあげたつもりで、クギをハンマーで打ち込んだつもりになるよ』って言ったのさ。その時、本当の意味でふたりは出会ったんだ。その時、二人は互いの目をしっかり見つめ合ったんだ」

5シリングの話は共通しているが、微妙に、違った印象になっている。この後の2人についても、諸説ある。
この後、ヨーコはジョンについて行きたかったが、ジョンは3日間ろくに眠っていなかったので丁重に断った。その後、次々とヨーコからの手紙が届いた...
あるいは、最初からジョンは大金持ちのカモとして彼女に引き合わされたといったものまである。

オノ・ヨーコがビートルズを解散に追いやった元凶だという視点で書かれたものには、初めからヨーコがジョンに取り入ろうとしたという印象を与える記述もある。かと思えば、ヨーコはジョンが誰であったかもまったく知らなかった等々...ジョンとヨーコのお話も、もうすでに伝説化して、諸説入り乱れている感じだ。

しかし、誰よりもジョンについて知っていたあのピート・ショットンの見方は、いずれにも当てはまらない。出逢った後のことについて、ピートは語っている。
PA(個人秘書)として、いつもジョンのそばに居た筈のピートは、2人の出会いについては触れていない。しかし、その頃のジョンは、精神的におかしかったかも知れないということを述べているのが興味深い。

「ある晩、マリファナとLSDをちょっとだけやって、ケンウッドの居間でテープを聴いてたら、突然、ジョンが言ったんだ。ピート、僕はイエスキリストなんだよって」
「なんだって?と聞き返すと、ジョンは繰り返したんだ。イエス・キリストだよ、戻って来たんだってね」
そんなことを言われたピートの反応が、なかなか面白い。
「ふーん。それでどうするつもりなんだい?」
仰天してしまわない処は、昔からジョンを知っているピートだからだろう。これは普通なら、ちょっと引いてしまう話だ。

「ジョンは、世界に自分が誰なのか告白するって言うんだ。殺されるぞって言ったら、ジョンは、それは困った。キリストは処刑されたとき何歳だった?って訊くんだ。32じゃないかって答えたら、ジョンは、じゃああと4年は生きられる。とにかく明日の朝、アップルのみんなに打ち明けるよって言ったのさ」
ドラッグによる影響なのかどうなのか。しかし、翌朝になってもジョンは、自分はキリストだと信じ込んでいたのである。ピートはジョンの言葉に従って、アップルに連絡し、緊急会議を招請する。

かくて、ビートルズの他の3人を含めた会議が開かれた。
「みんなに言わなきゃならないことがある。とても重要なことなんだが、実は僕は...イエス・キリストなんだよ。戻ってきたんだ。まあ、プライベートなことなんだけど」
ビートルズの3人は唖然としていたが、何も言わなかった。誰もジョンの言葉を否定しなかった。ひそひそ話をしては、沈黙が続く。ひとり、ピート・ショットンだけが、吹き出しそうになるのを必死になって堪えていた。


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