最後にビートルズに加入した"遅れて来たビートルズ"とも称されるリンゴ・スター。ここに来て彼の存在を自分なりに
 考えてみたいと常々思っていました。       Episord 8
 21世紀になる少し手前頃から、リンゴ・スターの非凡なドラミングが見直され始めた。全世界のロックファンやビートルズファンが、やっと物事を冷静に受け止められるようにになったと言うか、とりわけビートルズ解散以降の70年代〜80年代に活躍した色々なバンドが出尽くしたのを見て聴いて、さぁ、リンゴはどうだったのかと遡れる時期に来たのではなかろうか。
ビートルズファンに於いては、ファン層の下降によるものが大きいのかも知れない。リアル世代は、リアルにビートルズを聴き、楽しんだとは言うものの、特に何の分析や研究もせず、ただただビートルズを聴き、当時に見聞きした事をそのまま鵜呑みにしているというタイプのファンが多かった。それに比べて解散後から聞き始めた後発ファンはと言うと、ビートルズの音楽を聴くだけでなく、様々な文献などにも興味を示し、そしてくまなく研究したファンが多い。それにより、リアル派が全く知り得なかった事実を知ることとなり、リンゴのドラミングの素晴らしさを再認識出来るようになったのだ。
かく言う私も後発組の一人で、恥ずかしながらリンゴの天から授かった才能、そして音楽だけでなく、バンドのメンバーとしても彼がビートルズに無くてはならない存在であったという事にようやく気付いたのである。

 最近になってリンゴのことが気になり出し、彼のバンドの中での立ち位置や、役割について色々と考えるようになったのだが、リンゴ・スターという人はどんな人だったのだろうか?存命の人に対して過去形で言うのは些か失礼ではあるが(笑) これは私の推論にしか過ぎないが、私の思う彼の人となりを書いてみたいと思う。
この人の幼少期は始めにも書いた通り、散々なものだったろう。度重なる病気と入院で教育現場からは完全に取り残された。もちろん勉強が好きでなかった本人の責任もあるが、それを何とか軌道修正出来なかった親にも責任はある。
リンゴがビートルズの一因として有名になった時、彼が通っていた学校の同級生に当時の彼の印象を聞いたところ、誰もが覚えていないと答えたと言う。リンゴは完全にその影すらなかったのだ。存在感のない存在。しかしながら、リンゴが使っていた机と椅子だけはちゃんと解っていて、その机に座って写真を撮るのに幾らかの金銭を取った学校があったと言うから不届き千万である(笑)
その後、ちゃんとした中学にも上がれず、若くして世間に出て就労...しかし、何事も上手く出来ないトラブル・メーカー。やっと就職出来たと思ったら、あっと言う間の解雇の繰り返し。リンゴの母親や義父、親戚などは「どうしたものかねぇ」というように気を揉んだに違いない。日本で言う処の「箸にも棒にも掛からないヤツ」という存在である。そんな当時のリンゴの状況を考えると、劣等感に押しつぶされそうに思うが、意外にそういう劣等感や悲壮感は無かったように思える。
劣等感があれば、俺は何をやってもダメだと卑屈になったり、今に見ていろ見返してやる...みたいな被害妄想的な感情が湧いたりするものだが、リンゴの性格から考えると、そういった焦燥感は無かったのではないか。自分が学問も何もかも出来ないのは重々解っている、でも、自分なりに楽しくやっているからいいじゃないか、みたいな雰囲気を想像してしまう。きっと、そういう何事も悪く取らない、楽天的な処が彼を救ったし、それが彼の強さだったのかも知れない。

そのうちドラムという楽器と巡り合い、のめり込んで行く。世の中にこのくらい楽しい、そして夢中になれる物があったのか。リンゴはきっと目から鱗のような毎日だったに違いない。生まれて初めて見付けた打ち込めるモノ..それがドラムだったのだ。恐らく食事もそこそこに没頭して叩き続けたのだろう。騒音に顔が歪むが、やっと好きなコトを見付けてくれたというので、母親や義父も喜んだに違いない。新しいドラムを買う時に祖父が100ポンドもの大金を借したのを考えると、祖父にして同じ思いだったのが解る。
毎日の仕事を終えてから、いや、恐らく仕事そっちのけで、自分なりのドラムを叩きまくる。誰を模範とするでなく、誰に教えを乞うでなく、自ずと思うがままに叩きに叩きまくった様子が想像出来る。頭の中には当時の色んな曲が流れていたのであろう。こんな経緯からか、リンゴは最後まで自分が凄いとは思わなかったようだ。それは未だにそうで、自分は大したことないと思っている(笑)なんと謙虚なことか...しかし、これは謙遜などではなく、心底そう思っているのだから大したものである。リンゴの人となりが窺えるエピソードだ。
ドラムを夢中で叩いていたら、気が付けばリバプールでトップクラスのバンドのドラマーとなっていた。恐らく本人も「気が付いたら、そうなってた」みたいな感覚だったのだろう。野心など何処吹く風で、がむしゃらにドラムを叩き、音楽を楽しむうちにそうなった...いかにもリンゴらしい。この頃、若干二十歳。リバプールに居る時代からリンゴはビートルズを知っていたと言う。リンゴは当時を振り返ってこう言ったそうだ。「当時彼らを見た時は、ホントにまだ子供だったよ」
ジョンにして同い歳だが、この時既にリンゴはプロのドラマー、ビートルズは300幾つあったと言われるリバプールのアマチュアバンドのひとつに過ぎなかったのだ。当時はロリー・ストーム&ハリケーンズのショウの中でもリンゴのコーナーがあったと言われるくらい、彼はその名通りのスターだったのだ。ジョンはビートルズ時代にこう叫んだことがある「みんなはリンゴがスターだったってコトを忘れている」それほど、リンゴは既に出来上がっていたのだ。

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