ビートルズ ショート・ストーリー
                     第1話 「サムシング」           押葉真吾/作   No.2  
 彼女のせいなのか、そんなうわさのせいなのか、人と話しているのをあまり見掛けることがないアーチャと仲良くなれる機会なんて今日を逃すと「ビートルズ再結成」くらいにありえないと思った。しかももう駅の改札が見えてきた。
僕はアーチャの返事を待った。あまりに返事が遅いので僕は何度も横顔を眺めた。その時、彼女がやっと口を開いた。
「なあに?」
「えっ?....」
 アーチャは僕の話を聞いていなかったらしい...そういえばアーチャは僕が話し掛けているのに、どこか遠くを見ていて聞いていない事が多い。「なあに?」と聞き返す事がたびたびある。そういう僕もボソボソ話すことだけには定評があるからしょうがない。最初に話し掛けた時も無視されたと思っていたんだ。なんて回想にふけるのは歳とってからで充分なので、僕は現実に戻り、アーチャに思い切って切り出した。
(シンプル・イズ・ザ・ベスト!)
「うちに来ない?」
「なあに?」
(おいおい、また聞いてないのかよ...)


 アーチャは僕の部屋のCDラックから、次々とCDを取り出しては表、裏となにやら調べている。しかし、僕が持っているビートルズモノはすべて持っているらしく、あまり長い時間アーチャの手に留まることはなかった。そうとうのビートルズ、いや、音楽フリークかも知れない...
あぁ、困った困った。
それでも僕らは薄いインスタント・コーヒーを飲みながら並んで壁にもたれ、一緒にアルバム"HELP !"を聴いた。
「助けてくれ!今日よりもっと若かったあの頃はどんな時だって誰の助けもいらなかった...今じゃ時々不安になって、これまでにないくらい君が必要なんだ...」
スピーカーの中のジョン・レノンは驚くほど軽快に悲痛を唄っていた。
「これもラブ・ソングなんだよね?」
「そうね、ジョンはソロになってから、『この曲をもっとヘビーに録り直したい』って言ってたんだって」
アーチャは右側に少し首を傾げ、左耳に掛かった髪をかきあげた。その仕草はよく見かけるもので、どうもこれがアーチャのクセらしい。
「この曲、これでいいのにね。ポールとジョージのコーラスも最高だよ」
「"Mother"みたいにやりたかったのかもね」

ヘルプ談議で盛り上がって、僕は共通の話題を持てた事がとても嬉しかった。しかしアーチャの薄桃色の耳とセーターの胸の膨らみのせいで僕は息苦しかったのも事実だ。
そんな僕の気持ちを映したかのような"It's Only Love"に差し掛かった処で「そろそろ帰んなきゃ」とアーチャが今日の幕切れを呆気なく引いてしまった。
でも、このことがきっかけで嬉しいことに次の週はアーチャの家へ招待されることになった。
 アーチャはやはり、かなりのビートルズ・フリークだった。
周りに誰もビートルズ・ファンがいなかったせいで、僕は勝手に自称「超ビートルズ・ファン」を名乗っていたのだが、いやはや世界は広いのだ。アーチャのCDコレクションは僕が「全曲、普通のCDで揃えられるのに、誰がこんなもの買うんだ?」といぶかしく思っていた『シングル・ボックス』まであり、さらに『EPボックス』まであった。
さらに驚いたのは巷のDJもブッ飛びそうなカッコイイレコード・プレイヤーとLPコレクションがあったことだ。
「父親からもらったの」
とアーチャは言って何やらいたずらっぽく笑うと、シングル・ボックスから1枚取り出した。それはこの間二人で聴いた"Help!"だった。いつものようにいきなり歌のみで始まる"Help!"。でも、何か雰囲気が違う...
それはアーチャの部屋に来てむちゃくちゃ緊張しているせいでもないらしい。
いつも自分が聴いているものと同じとは思えなかった。
「このバージョンのほうが、ジョンの気持ちに近いような気がしない?」
アーチャの言う通り多めにかけられたエコーも何やら懐かしい雰囲気で、ジョンの心を覗き込んでいるようだった。
「これがジョンの"Help !"か!」
僕はアーチャの部屋にいるという状況だけでも充分興奮していたのに、さらに興奮して珍しく大きな声を出してしまった。そんな僕にアーチャは笑いながら右の人差し指でリズムをとりながら小さな声でCDに合わせて唄っていた。

 普段、人前で唄うことなんて子供の頃を除くと一度もなかった僕だったが、アーチャにつられて唄ってしまった。一人っきりの部屋ではいつも思いっ切り唄ってたんだけど。しかも、僕が一番好きなジョージになりきって...。だけどあの日アーチャが「初期のジョン・レノンが好き」と言ったせいで、近頃はジョンになりきって「ハンブルク巡業」も真っ青のワンマン・ショーが小さな僕の部屋で繰り広げられていた。
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