私が愛してやまないビートルズ、そしてジョン・レノン。そのジョンに対しての気持ちを書くはずが、ビートルズを題材にした、
当人の回顧録になってしまいました。単なる一人の人間の戯言に過ぎません、不快に思われる方は読まないようお願いします。
拝啓、敬愛なるジョン・レノン様 S
第20話 最終章Cuts誕生
 それから四半世紀近い長い年月が流れた。僕はギターなどまったく手にしない人になっていた。ビートルズも思いついた時にカセットテープを聴くくらいで、僕の中でのビートルズは遠く彼方にあった。
音楽とも離れ平凡な日々を送っていた僕が、ある日突然思い立ったのはギターを再度弾いてみたいということだった。寝ころんで考え事をしていた時ふと思ったのだ。今までにも埃まみれのアコースティックを引っ張り出して弦を替えて爪弾くことがあったが、やがて飽きては再び押入れの奥に戻って行くというサイクルを何度か繰り返していた。
しかし、その時は何故か新しいギターを買って弾いてみたいなどと思い、妻と連れだって近所の楽器店に出向いたのだった。
ポロン、ポロンと爪弾いたところで昔以上に弾ける筈はない。このままではこの新しいギターもお蔵入りになるような雰囲気だったのだが、その時僕はあるギター教則ビデオに出会ったのだった。
アコースティック・ギターによるビートルズのコピー教則ビデオである。中でもそっくりな「ノルウェーの森」に感銘を受けた僕はいい歳ながらも、ギターを始めた中学生の頃の自分のように指先を痛めながら毎晩猛練習に励んだ。そして弾けるようになった時は本当に中学生の頃と全く同じ至上の喜びを感じた。やがてこの「ノルウェーの森」をマスターし、その他の課題に進んで行くうち、僕は誰かに聴いてもらいたくなって武澤君を訪ねた。
彼とは荒木君同様に高校以来の親友だから、長年色々とお付き合いして来た仲である。新しいギターを買ったのだと言ってギターを抱える僕に嬉しそうに微笑みを返す彼だった。練習を重ねた「ノルウェーの森」を早速聴かせると、さすがに彼も驚いた様子で事の経緯を説明すると大いに盛り上がった。彼もその後ギターを購入、教則ビデオを入手して二人してギターにのめり込むようになった。
その頃インターネットを使ってビートルズの曲のコードを検索するうち、ビートルズ全曲のカラオケのサイトを見つけた。MIDI音源で作られた曲は今から思えばチープな物だったかも知れないが、全曲を作ったという処に感銘を受けた。凄い人がいるものだと二人して感心していると、やがて武澤君がビートルズの宅録ミュージシャンのサイトを発見し、僕達はこの「宅録」なるものの存在を初めて知った。凄い作品の数々でもうホンモノみたいな作品群に僕は興奮を隠せなかった。彼等の作品を聴いてるうち、懐かしさがこみ上げて来て、さらにそれは自分が若かりし頃に夢中になったバンドの事を思い出させ、途中でキャロルへ方向転換せざるを得ず、中途半端に終わったビートルズ・コピーへの切ない想いを呼び起こした。
ひょっとして自分にも出来るかも、いや、きっと出来るに違いないと、そこからは機材と楽器集めに奔走し、宅録に臨んだ。録音機器の使用法など解らないことだらけだったが、なんとか5曲収録した。2004年の夏のことである。「If I Feel」「This Boy」「ノルウェーの森」「Till There Was You」「Black Bird」マスタリングを終えて聴いた時には感慨深いものがあった。稚拙な出来ではあったが我ながら感動した。その後、僕はヤマハが主催している「プレイヤーズ王国」の存在を知り、CutsというハンドルネームでBプレイヤーデビューを果たしたのだった。それから暫くしてホームページにて「Cuts The Beat!」を立ち上げ、全曲制覇を夢に今に至っている。
最近では気の合う宅録趣味の人達と交流するようになり、実際にお会いしたりして更に宅録やビートルズを楽しむようになった。また長年音信不通だったター君とも連絡が取れ、そのつながりの中で昔懐かしい人達にも再会でき、また新たな出会いもあった。再び音楽に関わらなければ会うことの無かった人達である。あの日、ギターを買いに行かなかったら、いや、高校生の頃にバンドをしていなければ...もっと遡れば小学生の頃にあの鼓笛隊に入らなければ、今の僕はここに無かったかも知れない。いや、僕としては存在しているだろうが、かなり違った僕がいたのではないだろうか。そう考えると人の人生の中のひとつひとつの出来事と言うのは大変重要なことなのだと思えて来る。
そう、ジョンとポールもあの'57年7月6日ウールトンのセント・ピーターズ教会で行われたフェスティバル祭で出会わなかったならば、ビートルズは存在しなかったのかも知れないのだ。

ある日僕は物置で捜し物をしていて懐かしい物を見つけた。それは僕が16歳の時に描いたジョンの顔で、丸い眼鏡のフレームが少しいびつな表現になっている処がなんとなく絵画的で、当時は妙に気に入っていた絵である。真っ白なケント紙に鉛筆で描かれたその絵は、今やセピア色に変わってしまっていた。この絵のジョンは恐らく“アビー・ロード”を録り終えた頃だと思う。ということは1969年頃、となればこの時28〜9歳くらいだったのだろう。
30歳前にして哲学者を思わせるこの風貌、ひとつの人生を見極めたような完成度の高い表情のある顔が好きだった。ジョンが凶弾に倒れてから四半世紀、僕は彼が亡くなった時の年齢をとうに追い越してしまった。僕は僕なりに一生懸命人生を重ねて来たつもりだが、やはり、この歳になっても僕の顔は、憧れ描いた28歳のジョンの風格漂う顔の半分にも追い着けないでいる。
拝啓、敬愛なるジョン・レノン様、お元気ですか...(完) 

後記


皆様、このような独りよがりの稚拙で長い駄文を最後まで読んで頂き、まことにありがとうございました。心よりお礼申し上げます。                          Cuts  2006,09,06   


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