−Concept−
設計概念

 ■建物の設計について思うこと

 私が建物の設計(特に住宅の設計)において、いつも念頭に置いているのは「愉しさ」・「ケとハレを持つ空間」・「偶然見つける物」・「物との共生」・「美しいと綺麗」・「素材」という言葉です。
 
「愉しさ」とはそこに棲むうちに、愉しく感じられること。これは固定観念に捕らわれることなく普遍的な使い勝手の固定化を避け、広くなくても柔軟に対応出来る空間を造る事で生活に幅を創り出し、何らかの潤いめいた物も感じ取れる「愉しい建物」になってもらえればという思いです。
「ケとハレ」とは普段の生活状況が「ケ」であるとするならば「ハレ」の舞台があるということ。すなわち人を招いた時などに、その空間が様変わりして晴れの舞台を演出できないだろうか?ということです。服にも普段着と晴れ着というのがあるように、そこに住まう方々にその家の二面性を愉しんで頂きたいうことです。上記の「愉しさ」にも部分的に繋がることですが。
「偶然見つける物」とは暮らすうちに些細な事を感じること。
たとえば何気なく窓に映る空や風景を目にした時、または心地よく感じられる自然光、風を肌で感じ、、雨音や小鳥のさえずりを耳にした時というような自然との対峙があり、普段生活している時に何かの発見があるということ。これは設計者がある程度意図する処もありますが、意図するだけでは計り知れない部分も結構あります。しかし、これはそれなりの空間設計をしないと計り知れない部分の生じる確率は低くなると言えるでしょう。

次に「物との共生」ですが、人が生活してゆく上で避けられないのが「物」との同居です。建築雑誌に掲載される作品と呼ばれるような建物には、シンプルで「物」の無いすっきりとした、いかにも生活感の希薄な物が多く見られます。シンプル過ぎて収納スペースも殆ど省略された「作品」も見られます。この家に棲む人達は物を何処に置くのだろう?と私はつい考えてしまいます。「家に人が棲むのではなく、作品の中に人が入るのだ。出来る限り物の無い生活をすれば良いのです。」お偉い先生方にお言葉を承ると、これで終わるのでしょうけれど...。しかし家庭には何かと多くの「物」があるのが現実です。引越しの際などは、その多さに驚かされることが多々あります。整然とした室内は確に理想とする光景であり魅力的ではありますが、それを継続させるのは並大抵の努力ではありません。よって、私は表面上であっても「物」の無い光景を実現させる為に出来るだけ収納スペースを取り、住まわれる方々が必要以上の努力をしなくても整然とした暮らしが出来るようにと、それを念頭に置いて設計しています。

「美しいと綺麗」という似通った言葉がありますが、私は建築においてこの二つの言葉の意味を区別しています。
「綺麗」とは表面上の見掛けにこだわった表現であり、その物の持つ本質を表現してはいません。「綺麗な建築」というと、ただ単に新しい時の体裁だけを整えたようで軽々しく思えます。「美しい」というのは、その造形の美しさもさることながら、何か内から発せられる強さや潔さというような本質的なものや深さを感じさせられるものだと思います。建物も人と同じく歳をとりますが、古くなっても、また古くなるほど良さが出てくるような物であって欲しいと考えます。美しい人が幾ら歳を重ねても美しいように、美しい建築は時を経て古くなってもよいものです。
 その「美しい建築」を造るには造形も大事ですが、「素材」の選択もかなり重要になって来ます。
使用する材料は出来る限り素材感のある物を使用したいと思っています。たとえばアルミサッシだとカラーな物よりもアルミ本来が持つアルミ色の物を使いたいし、コンクリート、石、鉄、木など、その物が持つ素材の良さを表現出来る材料を使う方が良いと考えています。何かに似せた「贋物」ではなく、安価な物であっても「本物」の素材感を抱かせる材料を使って、潔く美しい建物にしたいと思っています。

All copy right YARD Yoshimura arch office reserved

http://www3.coara.or.jp/~patio/service.ht