Episord 4 ブライアンの求めるもの

 ブライアンは、ホモセクシャルであることを自覚しているにも係わらず、どういうわけか女性との付き合いを持っている。それも、殆どは自分から働きかけたと思われる節があるのだ。この頃、4歳下のユダヤ女性との付き合いがあった。ブライアンはハンサムで、優雅で、上品で、語り口も美し...そして、すでにユダヤ人社会では成功した人間として有名人であった。つまり、女性から見れば、理想の結婚相手に見えたのは当然のことだった。
付き合いが始まれば、彼は相手を上機嫌にさせることが出来た。ソニアという名のその女性とも、親密な付き合いをするのであるが、やがて彼女は、突然の別れ話を聞かされるのだ。
「もう会うのはやめよう…」
そして、このときブライアンは事実を述べている。てっきり他に女性が出来たと思った彼女に、「男が出来た」と告げるのである。二人して泣き続けた...

実は、ソニアはそういう悪い噂は耳にしていた。だが、それは理想の結婚相手と付き合っている自分へのやっかみだと思い、否定し続けていたのだった。
ソニアはその後、ソニア・スティーブンスという芸名で、演劇の世界へ進み成功する。レイチェル・ロバーツとの共演もあった。ビートルズのマネージャーとして時代の寵児といっていい頃のブライアンと彼女は遭っている。蠍座的な性格だという彼女は、こう言った。
「ねえ、あなた幸せ?」
今となっては伝説の人物を語るのであるから、想い出は美しく彩られているのかも知れないが、彼女はブライアンと一緒にいた時期が人生で最も幸せな時間だったと言う。
「彼も私を忘れることはなかったと思います。とても奇妙なのですが、いつでも彼の存在を身近に感じるんです」

 ブライアンの内面を探ろうとすると、大幅に時間を食ってしまうことになるが、いましばらく謎に包まれている彼の心の外縁を歩いてみよう。

ブライアンは、次第に自分がホモセクシャルだということについては無頓着になって行くように見えたという証言もある。なにしろエプスタイン家は、ユダヤ人社会の中でも評判のいい、尊敬される家だった。そしてブライアンは、ハンサムで、いつもきちんとした身なりをして、高級車を乗り回していたのだ。今や、ブライアンがホモセクシャルだということは公然の秘密になっていたのである。
当時の彼を知る者の中には、ホモセクシャルであるということをブライアンはそれほど気にしていなかったと証言する者が多い。若い青年を引き連れて夜のリバプールを遊び回り、それを特に隠そうともしていなかったと。

ユダヤ人芸術家のヤンケル・フェザーは語っている。彼が両親を愛し、尊敬していたのは間違いないけれど、ユダヤ人であるということこそが彼にとっては悲劇だったのだと。
ブライアンが、家族と共にユダヤ教徒としての伝統的な行事、監修をきちんと守っていたことは事実であり、彼が敬虔なユダヤ教徒だったことは誰も疑うものはいないが、ブライアンより10歳ほどの年上で気性の激しいこの芸術家は、そんなことぐらい大した問題ではないと言う。
彼によれば“それらしく振舞う”ことくらい簡単なことだった。ブライアンの終生の目標は、そんなことよりも、典型的な英国紳士として認められることにあったと言う。
そのための手掛かりは、爵位をもらうことだったはずだ。
「だから、ビートルズがMBE(大英帝国五等勲爵位)をもらったのに、彼がもらえなかったのは、最大のショックの1つだったんだ」

「彼が毎晩、街中を遊び回っているのを見るとショックだった。とても魅力的で、社会的にも有利な立場にあった彼が、そんなことをしていたからさ。そんな風に自分を大切にしないのは最低だと、私は彼に言ったんだ。私はしつこく口出しし、忠告し、彼はうんざりしていた」
果たして、彼の指摘がどれほど的を射ているのかはわからない。だが、NEMS(ノース・エンド・ミュージック・ストアーズ)が繁盛し、気ままな社交生活を送っていた彼は、さらに何か刺激(?)を求めていた。1961年中頃のブライアンは、自分は退屈のあまり危険な夜遊びをしているのだと話したという。お互い相容れない人間だと知りつつも、この二人は交流を続けていた。
ユダヤ人であり、芸術的センスがあるゲイだという共通点が、そのつかず離れずのような接触が続けられた理由のようだった。

フェザーの忠告などまったく気にもしていなかったブライアンだが、ある日、何気なく言ったひとことに、珍しく狼狽した。それは、花の絵の描き方を教えて上げようというものだった。ブライアンが、うろたえたのをフェザーは見逃さず、しつこくそれを薦めた。
「僕には才能がないんだ。RADA(王立演劇学校)にも行ったが、ダメだった。画家としてもきっと失格さ。成功するまでがんばるほどの興味もないしね」
フェザーはこのとき気づいたのだという。ブライアンが求める「成功」が、自分たちが思い描くようなレベルの成功とはまったく違っていることを。彼の“悩み”を解決するための「成功」は、もっとスケールの大きなものでなければならないのだと。

ブライアン・エプスタインについては、非常に興味深い話が残っている。レコード店経営者として、ポップスミュージックに興味を持ちだした彼は、大人の意見にはほとんど耳を傾けなくなったというのだ。それに対して、15歳から20歳といった若年層の意見には、辛抱強く、注意深く、かつ非常に興味を持って耳を傾けた。
彼は、時代の流れをつくるのは若者だと考えたのである。だから、十代の若者に意見を言われれば、それを受け入れたが、年上のものにまったく同じことをいわれたとしても、受け付けなかったと。
やがて、エプスタインのレコード売り上げに関する判断力は従業員を驚かせることになる。
彼の音楽に関する感受性は飛び抜けていた。トップ20のリストを見て、どの曲が上昇し、どの曲が下降するかを予測すると、それはまず間違うことはなかったのである。
 

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