Episord 35 ビートルズからの誘い

 リチーの母親、エルシーは、離婚後、別れた夫から養育費を貰っていたが、それだけでは到底生活出来なかった。結婚前に色々な職歴のあったこの女性は、バーに勤めることにする。条件的にも良かった。
午前から昼までという勤務時間を考えると、我々がイメージするいわゆるバーとは、少々違うようだ。6歳のときに、リチーは盲腸炎から腹膜炎を併発する。
昏睡状態に陥った彼は、10週間ほども意識が戻らなかった。この結果、何と1年以上も病院に居ることになった。退院して7歳で小学校に通うことになるが、子どもの頃に1年もの間、病院に居たということは、かなりのハンディである。読み書きその他が全くだめだった。
エルシーの親友の娘、マリー・マグワイアがリチーに読み書きを教えてくれることになる。マリーは、リチーより4歳年上の女の子だったが、大いにお姉さんぶりを発揮して面倒をみてくれたようだ。

「退院してきたリチーに読み書きを教えました。私はリチーがずっと好きでした。お母さんと同じように陽気で、いつも元気でした。可愛らしい大きな青い瞳でしょ。鼻が大きいとは思いませんでした。有名になってから鼻が大きいと言われていたので、そう言えば大きかったなと思ったんですけど」
小学校時代には、特別なことは何も無い。
中学に入るが、成績は芳しくなかった。勉強に興味が持てず、ずる休みをしたりする子供だった。やがて、母親のエルシーは、リバプール市役所で室内装飾の仕事をしていたハリー・グレイブズと付き合い始める。
リチーとハリーは最初からウマが合って、一緒に映画を見に出掛けたりしている。エルシーが、求婚されているとリチーに告げると、すぐに結婚に賛成した。リチー13歳の年、つまり1953年の4月17日に2人は結婚した。

「ハリーは、よくアメリカのマンガ本を持って来てくれたりして、いい人だと思った。ハリーとママが喧嘩すると僕はいつもハリーの味方をした。ママはちょっと威張っていてハリーが気の毒だと思ったんだ。僕はハリーから優しさを学んだ。暴力なんて無意味なものなのだと教えてくれたんだ」
リチーとハリーは喧嘩することもなく、すべては順調に見えた。だが、リチーは再び大病を経験する。
風邪をこじらせて肺炎となり、またも長い入院生活をすることになる。何とリチーは、それから2年間も病院生活を送ることになるのだ。
13歳から15歳までの2年間を病院で過ごすというのが、どういうことなのか、考えてみるだけでも大変なことだ。

「気を紛らすために何でもしたよ。いろいろ与えられたしね。編み物までした」要するに、リチーは中学校時代の殆どを病院で過ごしたわけである。就職するために必要な書類を手に入れるために中学に行っても、誰もリチーを覚えていなかった。
そしてまた就職するにしても、リチーには体力が無かった。難しいことをするだけの教育も受けていない。鉄道のメッセンジャーボーイの仕事に就いたが、6週間で辞めている。辞めたというよりも健康診断の結果によるものであった。その次には船のバーテンをクビになり、最終的には組立工の見習いとして働くことになった。

リチーに読み書きを教えたマリー・マグワイアは当時を振り返り語っている。
「両親は別れるし、二度の大病ですからね。私はどうかリチーが幸せになりますようにと祈りました。成功しなくてもいい。ただ、幸せになってくれればいいと」
リチーは自分の面倒をみてくれたナースの名前なら今でも言えるが、学校の先生の名はまったく覚えていない。
だが、彼は、そのことについて特別な感想はない。幸福だとか不幸だとかを語ろうにも、彼には、他に選びようが無かったのである。

リチーが見習工として働き始めたその頃から、素人のバンドブームが始まった。そこで彼はドラムを叩き始める。最初に中古のドラムセットを与えたのは義父のハリーだった。
リチーがドラムを始めるきっかけを作ったのが義父だったと言うのは、非常に面白い処だ。やがて、彼は新品のドラムセットを買い、バンド活動を熱心にやるようになる。
母のエルシーはいい顔をしなかったようだが、義父のハリーはこれを大いに喜んだ。何にせよ、夢中になる対象を見付けたことは素晴らしいことだと思ったからである。

やがてリチーはロリー・ストームのグループに加わった。素人バンドとして20歳のときに、彼は1つの決断を迫られる。ロリー・ストームが13週間もの仕事を決めたからである。見習い期間はあと1年残っていた。ここで辞めのは勿体ないと言うのが周囲の声だった。
「全くその通りだと思った。でも、会社の収入は週6ポンド、夜、アルバイトとしてバンド活動で得るのは週8ポンドだった。だが、今度の仕事は週20ポンドが約束されていた」
リバプールで、ロリー・ストームのバンドは最も有名なグループだったが、この13週間の仕事は特別なものだった。もしこれに成功すれば、さらなる活動の展望が開けたのだ。

ロリー・ストームの本名はアラン・ロールドウェル。いい仕事を得たことだし、これは有名になるチャンスだというので芸名を考えたのである。最初はジェット・ストーム。それが、ロリー・ストームになったのだった。
リチャード・スターキーも芸名を考えた。それまでにも彼はリングズと呼ばれていたことがあった。16歳で母に買ってもらった指輪をしていた彼は、祖父が亡くなったとき金の指輪を貰った。この当時は、4つの指輪をしていたのである。
スターキーはスターと縮められて呼ばれていたので、名前のほうも一音節に改められた。リチャード・スターキーは、この13週間のうちに、リンゴ・スターとなったのである。

この仕事を見事に成功させたロリー・ストームのグループは、リバプールでもっとも売れっ子のバンドとなり、最初に持ちかけられたハンブルグでの仕事を断っている。仕事が既に決まっていたのである。
だが、やはり彼らにしてもハンブルグ行きは魅力だったらしく、二度目の呼びかけには応じている。この時に、リンゴ・スターはビートルズと出会い、同じクラブで働いている。リンゴはビートルズに興味を示し、彼らの演奏に耳を傾け、わざわざリクエストまでしていたのはすでに述べたとおり。
ちなみに、リバプールでもリンゴはビートルズを見掛けたことがあった。みんなで、スチュアート・サトクリフにベース・ギターを教えている処だったと言う。

ハンブルグでの待遇は素晴らしかった。独立した部屋と車を与えられ、毎週30ポンドの収入が得られた。彼はこのままドイツに留まろうかとさえ考えたというが、この待遇ならばそれも無理からぬ処だろう。しかし、結局、彼はリバプールに戻る決心する。ロリー・ストームに居れば、またあの13週間の仕事がある筈なのだ。

そんな時、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインから電話が掛かる。
ビートルズに加われば、本格的なプロとしてのデビューが約束されると言うのだ。いつからだと聞くと、今からだと言う。
その日は金曜日だったので、この三日間はギグに出てプレイし、翌週の月曜日からなら参加出来ると答えた。
土日の二日もあれば、ロリー・ストームも何とか新しいドラマーを探せるだろうと思ったからである。
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