Episord 42 エプスタインの苦悩

 ブライアン・エプスタインは、ビートルズを成功に導いた男として、今や業界ではスター、主役であった。もう、これ以上は無いというほどの。だが、彼はこの時期においても、未だに演劇の世界に未練を持っていたようである。役者を目指し、ついに「主役」になれなかった男。彼自身は自分を卑下するように語ることがあった。
ロックの世界では、未だに“男性”をアピールし、それに女の子が熱狂するという形が全てであった。まだ、中性的、あるいは両性愛的なデビッド・ボウイは登場していない。

エプスタインは音楽の世界の最前線に居たにも係わらず、演劇界に関心を寄せていた。演劇界では、ホモ・セクシャルが非常に多かったのだ。エプスタインは、演劇関係者のパーティなどに呼ばれると、意外なくらい頻繁に出席している。あるパーティで、エプスタインは主役だった。
演劇関係者と言いえども“あのビートルズのマネージャー”エプスタインは、話題の人物であったのだ。エプスタインは、彼が感激して見終えた芝居に登場していた俳優が、自分の傍にいるのに気が付いた。その俳優は、今、売り出し中の若者だった。

本人の言によれば、次のようなことになる。
「ブライアンは、恥ずかしそうに『自分は俳優になりなかった』と言ったんです。『なれるじゃないですか。お金はいくらでもあるんだから、好きなことが出来るでしょう』」
「彼は温厚そうで、静かな話し方でしたが、いくらかあがっているようでした」憧れがある一方で、エプスタインは、演劇関係者の中では引け目を感じていたのかも知れない。

その俳優によれば、このパーティは客の半分が金持ちのホモ、その他の半分は、パーティに色を添えるための美青年達だった。だから、あの有名なブライアン・エプスタインが居るというのは、信じられなかったと言う。
「僕は何とかして彼にいい印象を持ってもらおうとしました。しかし、本能的に迷惑をかけてはならないと思いました。ですから、パーティの間中、ずっと彼の傍にいて“怪しい女”を演じていたんです」

その後、何度となくエプスタインはこうしたパーティに現われて、この俳優と親しくなっていく。
「彼はゲイであることを恐れていました。僕は70年代になって自分がゲイであることを公表し、ゲイ解放運動に参加するのですが、その頃はやはり、ゲイだとは言えませんでした。でも、ゲイの世界で楽しくやっていたんです。ブライアンは、いつもビクビクしていました。当時はゲイなんて異常者だと思われていましたからね」

親しくなった彼は、その後ビートルズとも会っている。
「当時の僕は、いかにも演劇界の人間だというように、気取った喋り方をしていたと思います。ジョンはそれをとても嫌がりましたね。リンゴは、いつも打ち解けて話してくれましたが」
結局、彼はエプスタインとは友人以上の付き合いにはならなかった。彼が積極的になっても、嫌がられたのだという。
「好みのタイプではなかったのでしょう」
だが、ある時期、エプスタインの身近で、その一部始終をじっくり観察していた彼の言葉はなかなかに鋭い。
「彼は自分自身を理解していなかったのだと思います。金も権力も手にしたかも知れませんが、ほんとに夢みていたことは実現しなかったのです。ある意味で言えば、意思に反した道を駆け登ってしまったのでしょう」

「リバプールでは、自分がホモセクシャルであることを隠そうともしていなかった筈のエプスタインであったが、ロンドンでは...と言うよりビートルズを成功させたマネージャーとして世界的な有名人となった今となっては、そのことが再び彼を苦しめているようだった。
「当時、ゲイであるということのプレッシャーは大変なものでした。演劇界の僕でさえ、それらしい雰囲気を舞台から客席に伝えただけで、役が来なくなったと思います。エプスタインも女性的なイメージを与えるような動作、立ち振る舞いは絶対にしませんでした」

「彼が孤独であったのは間違いありません。“そのこと”について、親しい友達にも話せなかったわけですからね。でも、“そのこと”は、みんな知っていましたよ。そして全く気にもしていませんでした。もっとも、気にしないと言うことは、一方で、通り一遍の付き合い方しかしないということでもありますがね。ブライアンが人と打ち解けて話しているのは見たことがありません。唯一の例外がジョン・レノンだったと思います」
エプスタインが、果たして自分自身を理解できていなかったのどうかは解らない。しかし、間違いなく理解できていなかったのはアメリカの広さだった。

1964年、最初の本格的アメリカ・ツアーに際して、エプスタインがアメリカの地理をよく解らないままに認めてしまったため、ビートルズはとんでもないスケジュールをこなさなければならなかった。
34日間に、24都市で32回の公演...あの広いアメリカで、これはどう考えても非常識だ。1カ月間を通してビートルズは、熱狂的な歓迎を受けた。だが、彼らはホテルとリムジン、そして飛行機の中に居ただけである。彼らの人気はまさに「異常」だった。

ビートルズが息をしていた部屋の空気の缶詰が売り出された。ビートルズが泊まったホテルのベッドシーツは、洗濯しないうちに切り刻まれ、3平方インチ10ドルで売られた。エプスタインは、ビートルズに掛かり切りになっていた。リバプールでは、エプスタインの指示を待っているアーティスト達が居たのだが、完璧を求める彼は、ホテルの手配から警備態勢の指示、ビートルズが演奏する曲の選択、その他綿密なスケジュールを全てやらずには気が済まなかった。

彼は他のアーティストも気にしていたが、すべてに優先したのがビートルズだった。だから、エルビス・プレスリーのマネージャー、トム・パーカーと話をする機会を得た時、自分がやろうとしていることの大きさをやっと理解できたのである。パーカー大佐は、プレスリー以外のマネージャーをしたことがなかった。 エプスタインが驚いた表情をするのを見てパーカー大佐は言った。
「エルビスは、私のすべての時間を必要としたんだ。もし、他の人間と契約したら彼は傷ついただろう」
パーカー大佐から貴重な経験談を聴けたエプスタインだったが、彼は、やはり何もかもを1人でやろうとして大きな損失をすることになる。

映画会社からビートルズ主演の映画の話が来た。エプスタインは自分の判断で利益配分を考え、よせばいいのに、自分のほうから先に数字を言ってしまうのだ。利益を優先した映画会社は、知恵を絞り、低予算のコメディー映画仕立てにした。
この映画によるでビートルズ側の利益は不当に少なかったが、「ハード・デイズ・ナイト」(邦題「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」)と「ヘルプ」は、映画会社に今なお利益をもたらせ続けている。

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