Episord 43 エプスタインの富と負担

 1964年月、エプスタインはイギリスのベストドレッサー10人の1人に選ばれた。「彼の衣類に対する趣味は、タレントの選択眼に対するものと同じく的を射たものである」というわけである。エプスタインは、有名人、あるいは文化人としても認められていた。
一般的な認知度は、まさにそうしたものであり、エプスタインは彼の持っている雰囲気そのままに、当然一流の人物として知れ渡っていた。だが、彼と日常的に接する者達は、彼の危うい一面に気付かないわけには行かなかった。エプスタインには、奇妙な空虚さが感じられたからである。

公の席に登場するエプスタインは、ある種の威厳さえ漂わせ、自信に満ちた発言、行動を示していたが、その一方で、非道く頼りなさを感じさせることがあった。絶好調の時の彼は、まったく申し分なく仕事をこなしていったが、ひとたび落ち込むと落ち着きなく、そわそわとした人間となった。
そのため彼は、この頃から薬物に依存した。興奮剤や鎮静剤を大量に使用していたと言われている。元々彼は、思い付きで行動することが多かったのだが、スタッフは、彼の次の行動、あるいは感情の変化さえ予想出来なくなっていた。
エプスタインの感情の振れ幅は、一般的な常識からは推し量れなかった。

全てのことに彼流の好みが反映されていた。例えば金銭的な感覚もそうだ。パーティには出費を惜しまなかった。彼は全てのことを自分で取り仕切るのが好きだった。
誰それの好みのタバコの銘柄は何であるか、銀の食器が綺麗に磨かれているかどうかといった、こまごまとしたことまでも自分で確認せずにはおれなかった。
客をもてなすために途方もない額の金を使っても頓着しない一方で、スタッフがジャーナリストに用意した昼食に、それだけの正当性があるかどうか、問い正したと言う。

ビートルズが夕食に招かれた。リンゴが無意識のうちに、エプスタイン自慢の高価な椅子の背に施された金箔をむしり始めたことがあった。エプスタインは不愉快そうにそれを見ていたが、やがて、こう言った。
「やめてくれよ、リンゴ。目茶苦茶になっちゃう」
ジョンが、すかさず言い返す。
「そのくだらんもんの代金を稼ぎ出したのは、紛れもなくヤツなんだぜ」

まさに、エプスタインに富をもたらしていたのはビートルズだった。彼は、ビートルズ以降も、リバプールから多くのアーティストを抱えるのだが、ビートルズがビッグになるにしたがって、マネージャーとしての仕事は難しくなっていた。結果的に成功したのは、数えるほどのグループと歌手だった。
業界では、エプスタインはいつ“大掃除”を開始するのかと言われ出す。誰が見ても、エプスタイン一人で、全てを取り仕切ろうとするのは無理だと思われたからである。
まだ、これといったヒット曲に恵まれない歌手について問われると、いずれ結果が出るだろうと楽観的な様子で答えるエプスタインだったが、オフィスに戻ると、明らかに落ち込んでいた。何よりも、自分が売れると見込んだ者たちが認められないことが、彼を傷つけていた。

当時のスタッフによれば、売れる見込みが無いアーティストに対しても、思い入れが強ければ強いほどしつこく売り込みたがったという。それが、たとえ死者を蘇らせるに等しいものだったとしても...
あのジョージ・マーティンも、エプスタインは明らかに多くのアーティストを抱え込み過ぎていると感じていた。
「私は本来、持って来られた話を断るのは好きじゃないんだけれど、そうせざるを得なかった。たとえ彼が美辞麗句を並べて新人アーティストを売り込んでもね。彼の連れてくるアーティストは次第に水準が下がって来ていた」

「ビートルズを成功させた過信があったのだろう。彼は、自分がいいと思ったアーティストが成功しない筈はないと、次々と抱え込んでしまったのだ。
「ジョンは偉大な精神の持ち主で、素晴らしい人間だ。今まで私が会った中で最高の人間のひとりだ。彼の成長を眺めているのはとても興味深い」
「ジョージのことは、常に友人だと思っているよ。気まぐれなところがあるから手に負えなくなることもあるけど」

「リンゴのビートルズへの参加は最大の出来事の1つだった。ビートルズが希望し、僕が実行に移した」
「ポールは人間的に一等成長したね。魅惑的な人柄だし、誠実だ。あまり変化を好まない人間なんだ。若者だけでなく、もっと広い層に向けて演奏するようになって、他の誰よりもまごついているようだ。彼は若者こそビートルズの観客だと思っているからね」
1965年当時のエプスタインによるビートルズの各メンバーに対する言葉である。

ジョンを絶賛する一方で、ポールに対しては、どことなく遠慮がちな感じを受けるが、エプスタインとやり合う(?)ことが一等多かったのはポールだったと言われている。
ポール・マッカートニーは、誰にでも愛想よく、人なつこく語りかけるが、そのため逆に相手を警戒させるような処があったようだ。ジョンが、口の悪さで返って好かれることになったのと比べると皮肉なことだが。ポールもエプスタイン同様、あれこれと気がつくタイプの人間であり、エプスタインがいろいろと口を出すことに反発していたのではなかかろうか。

ビートルズによって会社が巨大になって来ると、共同経営の話が持ちかけられたこともあった。ロンドンの芸能界のドンとでもいうべきバーナード・デルフォントも、会社経営をめぐってエプスタインと何度か語り合った人物である。
「彼には助言者が必要だと思いました。無理強いはしませんでしたが、彼が良からぬ人物に騙されてしまうのではないかと恐れたのです」デルフォントはエプスタインの会社の株50%を買い、引き続きエプスタインに“クリエイティブな面で”係わりを持って欲しいと説得する。デルフォントの申し出は、当時としては悪くはない。実際、エプスタインの負担はもう限度を超えていた。

しかし、エプスタインはビートルズにこの話を相談したあと、すぐに断った。「彼らは私と別れるくらいなら解散したほうがマシだと言ってくれたんです。ジョンは私に、『くそくらえ』と言ってくれました。とても感動しました」
エプスタインがビートルの言葉に感動したのは、紛れもない事実だろう。しかし、ビートルズがエプスタインの仕事の実態を正確に把握出来ていたかどうかは、大いに疑問である。
かくして、エプスタインは、この後もこれまで同様の巨大な“負担”を背負い続けることになるのである。

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