クラウス・フォアマン回想録 @
永遠のグルーヴ
第1話 衝撃のロックンロール
あのアストリット・キルヒヘアとともに無名時代からビートルズと関わった男
 ハンブルクのモード専門学校にはたくさんのクラスがあった。僕jはグラフィックを専攻したが、それとは別に写真クラスも選択した。実際このクラスが一番面白くて、僕は大いに影響を受けた。担任のラインハルト先生のことを僕は今でも尊敬している。彼にはカリスマ性があり、その写真技法は僕ら学生やほかの写真家の目標だった。僕は先生から学べるものは何でも吸収した。アストリットは長い間彼のアシスタントだった。彼女の写真を観ればラインハルト先生に影響を受けているのが一目瞭然だ。しかし、最近の若者には彼のスタイルは受け入れられないようだが。先生は独自にその鋭敏で繊細なスタイルを確率し、一瞬を写真にとらえるのに秀でていた。
 モード専門学校を卒業すると、僕の仲間の中心格はラインハルト先生の元で働くようになり、先生のスタジオは大きくなっていった。彼は広告業に徹し、かなりの成功を収めていた。先生は僕らを威圧することもなく知識を伝授し、とてもいい勉強になった。実は先生はゲイで、僕は見かけが女の子のようだったから、僕のこともしばらくそうだと思い込んでいたみたいだ。先生の事務所の何人かも僕に気があったようで、僕がゲイでないと知るとがっかりしていた。残念ながら僕は女性にしか興味がなかった。ソフィア・ローレン、ジャンヌ・モロー、イレーヌ・パパスなどがタイプだった。もちろんその当時はアストリットにぞっこんだったが。彼女は何故かゲイがいる環境が好きだったようで、その事務所のことも気に入っていた。
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 彼女はジャン・コクトーのようなシュールなデカダンが好きで、自分の部屋をカーペットにいたるまでデカダンの色、すなわち黒に統一してしまった。キングサイズのベッドはベルベットの大きなブランケットで覆われ、まさにデカダンというわけだ。僕らはよくその時代の実存主義者(イグジス)みたいに言われるけど、それは何故か?それはイギリスの4人の友人のせいだ。イギリスではモッズやロッカーが流行りだったが、ここではもっと芸術的なイグジスが流行っていた。ただ、実在主義とは縁もゆかりもなくて、政治的なことにはまったく関わっていなかった。僕らは黒を身にまとい、その知的なイメージを好んでいただけだった。
(中略)
それにしても当時の自分たちの格好を思い出すと赤面ものだ。まったくパンツはきつすぎて歩けないほどだし、なにより一番は洗い立ての髪を顔を覆うように、くしで前へ持っていったことだ。これで、そうでなくても女の子みたいな僕の外見がさらにソフトになった。アストリットが僕をスタイリングし、バスタブに入れ、髪を洗い、次の外出に備えてくれた。今思えばアストリットのなすがままだった。
 人を愛すると、その感情で相手を押しつぶしてしまいそうになったりするが、僕とアストリットもそうだった。今あの頃をふり返ると、アストリットはよくやってくれていたと思うが、当時は言い争いが絶えず、僕はこのきりがない口論を避けるため、外へ逃げ出したのだ。それは1960年の秋のことだった。
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僕は襟の高い長いジッパーの付いた茶色のスエード皮のジャケットを着て、ハンブルクの通りを歩いていた。僕はふたりの問題に対する糸口を見つけるためにひとりになりたかった。港に向かおうとしたが、そこへ行くには途中、ガラの悪いセント・ポーリ地区を通り抜けなければならない。しかし、僕はその道を通って行くことにした。グロッセ・フライハイトとレーバーバーンの角で立ち止まり、フライドポテトを買い、ぼんやりと街を眺めていた。
陰気そうなドアマンが客引きをしていた。文字どおり男を引っ張り込んでいる奴もいた。半分開いたトイレの隙間から二人の太った女性が取っ組み合いをしながら、たがいに泥を投げつけているのが見えた。観客が叫びだし、ドアマンは僕を連れ込もうとしたが、僕はゾッとして彼を振り払った。そして絶望的な気分でそこを立ち去ろうとしたその時、光が差し込んで来たのだ。でも、その光は天からのものではなく、地下のクラブからやって来た。それはこれまでに聴いたことのない音楽だった。

ベルリンの自宅にいたころは、音楽と言えばみんなクラシックだった。ブギヴギは不快だったし、ロックンロールなんて言葉はスペルーさえ知らなかったほどだ。しかし、地下から流れて来るその音楽は僕の全身を虜にした。僕は催眠術にかかったようにゆっくりと音楽の聞こえる方向に近づいていった。好奇心にかられたが、同時にひどく恐ろしくも感じた。
でも、こんなところに入るのを誰にも見られたくないと、ジャケットの襟を高くして階段を降りた。ジャズクラブには割とよく行っていたが、ここはそんなヤワな場所じゃなさそうだった。何が起こっても不思議じゃない感じだった。誰かが殴り掛かって来るかも知れないし、財布を盗まれるかも知れない、そうでなければ階段に連れ込まれて通りに放り出されるかも...。
入場券を買うと、手の甲にスタンプが押された。中に進むと僕の前には薄暗くウルトラ・バイオレット・ブルーな世界が広がっていた。僕は思わず足をとられた。ステージでは痩せた金髪の少年がその細く長い脚を、激しいギタリストの背後でスウィングさせようとしていた。その間彼はマイクスタンドを持ったまま暴れまくっていた。荒っぽいがまずまずの演奏だ。
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ウェイターがやって来て、にっこりすると「座るか出ていくかどっちかにして下さい」と言った。僕はステージにほど近い、なかなかいい席に着いた。洗い立てのような前髪の間から大きな目をきょろきょろとさせ、ビールをすすりながら、これから何が起こるのかを観察していた。
やせぎすの少年バンドがステージからはけたあと、しばらくはジュークボックスがかかっていた。僕は次のバンドがどんなものか聴きたくてうずうずしていた。やがて5人の若いミュージシャンがどこからともなく登場し、スポットライトを浴びる時を待ち始めた。その中のスリムなひとりの男が青白い顔にサングラスをかけていた。こんな暗いところでサングラスかと不思議に思った。5人はみんなお揃いの服を着ていた。白と黒のチェックのジャケットの襟をピンと立て、タイトなグレーの安っぽいネルのパンツ。ハイヒールでグレーのバックル・シューズは彼らの冒険心をイメージしているようだった。
僕は彼らがジョークを言いつつギターのチューン・アップをしているのをじっと見ていた。突然、ジュークボックスの音楽が鳴り止んだ。
"For goodness sake,I've got the hippy hippy shake!"
僕はもう少しで椅子から転げ落ちるところだった。あの日ステージから受けた衝撃は今でも忘れられない。そしてその瞬間から僕は完全に魂を奪われてしまった。5人のイギリス人青年が、ハンブルクの地下の暗いホールのちっぽけなステージで、正真正銘のロックン・ロールを演奏していた。それが、ジョン、ポール、ジョージ、スチュアート、ピートだったのだ。
ザ・ビートルズ・クラブ 「クラウス・フォアマン回想録」より引用

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