クラウス・フォアマン回想録 A
永遠のグルーヴ
第2話 カイザーケラーの思い出
あのアストリット・キルヒヘアとともに無名時代からビートルズと関わった男
 あの懐かしのカイザーケラーはもう残ってはいない。ずいぶん昔になくなってしまった。シュムック通りとグロッセ・フライハイトの角のカイザーケラー跡地に出来た新しいビルの1階が『カイザーケラー』だと思い込んでいる世界中のビートルズ・ファンが聖地巡礼のようにそこを訪れているらしい。
 僕は以前一度だけその新しいビルに行ったことがある。思い出の地カイザーケラーと比べるためにだ。しかし、もうそこは僕の知らない場所に変わっていた。なにもかもが、こんな風に姿形を変えて、だんだん遠のいていくのだろう。
 僕にとってあの頃はエキサイティングで希望に溢れた素晴らしい時代だった。カイザーケラーはそのような場所だったのだ。
 そう、あの頃。思い出しただけでもワクワクして来る。大勢の仲間達、楽しい会話、シャンパンの弾ける音。カイザーケラーのオーナーのコシュミダーはその音が大好きで、機嫌がいい時は気前よく振る舞っていたものだ。そして最高のバンド、ビートルズ、あれは僕の新しい人生への扉だった。今回はカイザーケラーの思い出を少し聞いてもらえるだろうか。

 僕はアッパー・ミドル・クラスの医者の家庭に育ち、ロックンロールのつづり方さえ知らなかったが、突然この狂気じみた世界に身を投じることになってしまったのだ。ベートーベン、ジョージア王朝の家具、アール・ヌーボーの邸宅が一転、暗く煙っぽい地下室で聴く"Long Tall Sally"に取って変わったというわけだ。
 カイザーケラーは快適な居心地のいい場所で、どちらかと言うとマレーネ・デートリッヒが「リリー・マルレーン」とかを歌っていそうな、そんなキャバレーみたいな場所だった。余計な装飾は全部取り払われ、網が天井からぶら下がり、2艘の木製の救命ボートが半分に切られ椅子代わりにアレンジされていた。真ん中はダンス・フロアとステージ。そして両側にバー・カウンターがあった。ボートの席はとても人気があって、僕らはぎゅうぎゅう詰めで座り、話したい時は頭をくっつけあったものだ。
 当時は知っている人、知らない人、いろんな人が混じり合って、ハッピーで開放的な雰囲気だった。お互い飲み物をおごりあったりして、知り合いになった。シャレのひとつでも言おうものなら、お腹が痛くなる程次々に笑いが起きたものだった。
 たまにセント・ポーリの赤線地区の犯罪者が女の子を連れてやって来たりもしていたが、何か問題が生じるとウエイターがガード役になって駆けつけてくれた。気付かない時は「アリー」とか「ホルスト」と叫ぶと来てくれた。
 こういった問題を解決するためのウエイターの処置には3つの段階があった。1,「その客に向かって僕らにかまわないよう告げる」2,「外に引きずり出す」3,これは一番ひどいんだが、「拳で2,3発殴る」というものだった。しかし、結局、3番目が一番よく使われた。あまり好ましいことではないが、そこの男達はみんなタフで熱く、何でも殴りつけたいと思っている奴らばかりだった。まぁ、おかげで僕らにとっては願ったりかなったりで、安心して長い危険な夜を危ない目に遭わずに過ごすことが出来たのだが。

バンド、そうビートルズはもちろん最高にいかしていた。ジョンは心からシャウトし、ポールはゴムボールのように高くジャンプしていた。ピートはドラムを叩きつけ、茶色の髪のジョージはニッと笑っただけで女の子を熱狂させた。彼は男の子にとっても魅力的だった。スチュアートだけはステージでほとんど動かなかった。彼はサングラスを掛け、かっこいいパンツをはき、クールで洗練されていた。彼にはカリスマ的な魅力があった。彼もまた女の子にだけでなく、男の子にとっても魅力的な存在だった。ビートルズはステージで騒いでいても、観客がそれを共有しているかどうかをちゃんと知っていたのだ。
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いろいろな出演バンドの間には、ちょっとしたジェラシーもあった。たとえばビートルズが僕らといっしょに座ろうとすると、ロリー・ストームも一緒に座りたがったりした。彼はおせっかいで、何事も見逃すのが耐えられない性分だった。写真を撮るとなると、必ず自分が真ん中になって笑顔を浮かべるのだ。ロリー・ストームのバンドにいたリンゴもよくやって来たが、リンゴはそんなロリーの様子が何がなんだか解らなかったようだった。
 ビートルズが演奏を始めるとダンスフロアは一杯になって、熱狂の渦に巻き込まれた。まさにすし詰め状態でクラブの中は地獄のように厚く、息も絶え絶えだった。水滴がすべてのものから流れ落ちていた。壁から、アンプから、僕たち自身から、湿度がもの凄く高く、ヒューズは今にも爆発しそうだった。しかし、お気に入りのバンド、ビートルズの足の揺れさえ絶対見逃したくないというのなら、これに抵抗することは出来なかった。

1960年、僕にとってすべてのことが始まった年、僕にリバプール出身の友人が出来るなんて予想もしなかった。若者のイメージは革命の時を迎えようとし、ターニング・ポイントに立とうとしていた。
 もし、僕がビートルズと出会う前にアート・スクールの誰かがロックンロール好きだなんて言うのを聴いていたら、僕はそいつをいかれてると思っただろう。ロックンロールがすべての扉を開き、僕らにビートと呼ばれるドラッグをもたらしたのだ。音楽とダンスが僕らの人生そのものになっていた。
 僕らは黒い服を着て、時には生意気で、そして生きていることの希望と喜びで一杯だった。敗戦間もないドイツで、僕らは未来のない子供ではなかった。人生を感じたいと前向きだった。 そう、この幸せは、ビートルズと付き合いだした時に現れたのだ。
ザ・ビートルズ・クラブ 「クラウス・フォアマン回想録」より引用

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