私が愛してやまないビートルズ、そしてジョン・レノン。そのジョンに対しての気持ちを書くはずが、ビートルズを題材にした、
当人の回顧録になってしまいました。単なる一人の人間の戯言に過ぎません、不快に思われる方は読まないようお願いします。
拝啓、敬愛なるジョン・レノン様 F
第7話 THE SELTAEB誕生
 アルバム「Let It Be」の次に手に入れたのが「Abbey Roard」たぶん高2の夏くらいだったと思う。
A面は「Come Together」「Something」や「Oh! Darling」など解りやすい良い曲の数々で、B面も「Here Comes The Sun」「Because」など馴染める名曲もあって満足していたのだが、「You Never Give Me Your Money」から始まる例のメドレーがあまり良く思えなかった。その頃の僕にはその良さがまだ解らなかったのだ。それが絶賛させられるようになるのは、もう少し先の事で「ホワイト・アルバム」の洗礼を受けた後ということになる。
ビートルズの曲もありきたりになっていた秋頃、とうとう残されたホワイト・アルバムを聴かねばならなくなった。最初は少し辛抱にも似た気持ちで聴いていたのだが、聴いているうちにどんどん引き込まれて行った。何故かこのアルバムの収録曲は初期はもちろんの事、後期の作品ともイメージが違う。違った面でのビートルズ、解説にもあるように各人のソロを集めたようなアルバムで、とりあえずのビートルズ全般を聴き終えたこの時点での僕には新鮮だった。
やっと聴けるような状態というか、入り込める時期に差し掛かったという感じで、僕はこのアルバムにのめり込んで行った。「Sexy Sade」「Happiness Is A Warm Gun」「Black Bird」「Mother Nature's Son」などなど、聞き込む程に味わいの深くなる曲ばかりだ。
僕は目から鱗がおちたような感覚で毎日このホワイト・アルバムを聴いていた。

ここで話は少し戻るが...

この年の春、ちょっとした騒動が持ち上がった。僕たち3人は学校でバスケットボール部に所属していたのだが、その頃の1年生部員全員と上級生との折り合いが上手く行かず、1年生は全員退部するというクーデターを起こしたのだった。これにはさすがの上級生達や監督、教師達も慌てた。
何度も執拗な説得工作に遭ったが、一人が復帰しただけで他の僕達3人を含む1年生部員は全員退部した。僕達3人はそれぞれ口には出さなかったが、バスケットに掛ける情熱をバンドに掛けたかったのだと思う。3年の秋の文化祭を目指してやり遂げようと。
と言えばカッコイイのだが、実際のところは大した進展も無く、レパートリーはある程度増えたものの、新曲をやろうとしても何処かでつまずき頓挫するというような事を繰り返していた。
相変わらずパートが確定しないバンドであり、また、そろそろバンド名を考えないとなぁ、などと言うもの凄い悠長なバンドだった。
しかし、それも無理もない。当面何処にも出演する事もないのだから、名前など必要ないと言えば頷ける話だった。
でも、さすがに名無しバンドはあまりだろうという事で考える事にした。とりあえずあれやこれやと考えていたが、ピンとく来るモノは無かった。酷いのになると「音楽ゴクドーズ」なんていうのもあったりして、笑ってしまう。
当時中学生だったリードギタリストのキサブローが中学の文化祭に自分がリーダーとして出演するバンドに付けた名前が「SELTAEB」だった。その頃「ずうとるび」という半端なお笑いグループが流行っていて、それを見て思い付いたのだと言う。
何と読むのかと尋ねると「セルティブ」だと。「セルティブ」か、なかなかいい響きだ。確かに安直ではあるがビートルズのスペルをひっくり返したこの名前は即座に僕達のバンド名になった。

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