26〜50 51〜75 75〜100
001 '06,09,06 何故にリッケンバッカーだったのか?
ジョンは何故リッケンバッカー325を選んだのでしょう?それも弾きにくいショート・スケールのとんでもないギター。50年代イギリスでも人気のあったジョージ・シアリング・クインテットのギタリスト、ジーン・トゥーツ・シールマンスがリッケンバッカーをプレイしているのを見て気に入ったからと彼は語っています。
でもあのザコザコした音質を気に入ったとは考えにくいですよね。ええかっこしーのジョンの事、きっとカッコから入ったに違いありません。リッケンって独特な尖ったデザインで他のギターには無いカッコ良さがありますもんね。美的感覚に優れたジョンらしい選択だと思います。
002 '06,09,07 で、どっちがいいワケ?
それでジョンのリッケンとくると325V58と325C64がありますが、どうでしょう?どうでしょうって、どちらがいいかということです。私、昔はスマートなC64が好きでしたが、今はV58の方に目が行きます。あのビグズビーのいかついアーム。あの何とも言いがたいグリーンがかったゴールドのピック・ガードとロッドカバーの色。そのピックガードのゴールドとリペイントされた黒いボディーとのマッチングがまたなんともいいんですよね。それにそのリペイントの塗装が経年変化を起こして黒なんですが、光の当たり方によっては濃いブルーに見えたりするのが堪りません。絶対弾きにくいぞーと言われても私には垂涎モノなんです。
003 '06,09,09 ジョンのアイテムと言えば
この人のアイテムと言えば当然この丸眼鏡ですよね。なんでもこの眼鏡、イギリスの国民健康保険制度でタダで配布されていたモノらしいんですね。私も最近知りました。ジョンが掛けた事でファンが殺到して在庫無し、対策として翌年から形を変えたというお話。さすが凄いですねー私も若い頃、このフレームを探し廻りましたよ。見つけた時は涙ものでしたね。しかし私は日本人、何と言っても顔がデカイ(笑)
この眼鏡を掛けると眼鏡が真ん中に寄ったように見える(爆)うーこれはみっともない!なんとかせねばと考えるうち鼻掛かりの繋ぎの部分を少し伸ばす事に成功。なんとか見られるようになりましたが...
004 '06,09,10 ジョージ、ロンチーを弾いてくれ
「ジョージ、ロンチーを弾いてくれ」ジョンが何年経ってもジョージにこのジョークを飛ばしたと言います。『その晩、別のバンドにクレイトンというすごい腕前のギターリストがいて、ジョンが「あいつより上手くギターが弾ければ仲間に入れてやってもいいぜ!」と言ったんだ。 そこで”ロンチー”を弾いてOKをもらったんだ』いや、私はそうじゃないと思います。ジョンは微妙な中間コーラスをキチンと歌えるジョージの才能とテディ・ボーイなルックスの良さ、いやそれ以上に天然ボケを生かした切れ味鋭いジョージのジョークが気に入ったのだと思います。ギターの上手い下手はジョンにはあまり関係なかったように思います(爆〜)
005 '06,09,11 ジョン、これではいかんやろー
ハンブルグ時代からデビュー当時にかけてのジョンは痩せていてスリムでしたが、だんだんと太りだして「Help!」のクランク・イン寸前が最高潮だったようですね。リンゴに言わせれば、新曲がヒット・チャートの1位」になる度にみんなでお祝いし、ジャンジャン飲んでジャンジャン食べたからだとなりそうですが。
でも、この頃のジョンってかなり気が滅入っていたと本人が言っていますから、鬱状態で過食気味だったのではと思います。しかし「ジョン、こりゃあ、あんまりやろー、もっと痩せてもらわにゃ」とブライアンに言われたんじゃないでしょうか、映画のジョンを見るとこれよりはかなり絞れてはいましたが。
006 '06,09,13 満身創痍
と思いきやゲッソリという表現がぴったりの頃もありましたね。痩せただけでなく顔色、顔つきも非常に悪く、生気のない表情ですね。津波の如くたたみかけて来る恐ろしい程のプレッシャーを感じていたんでしょうね。世界中が次の何かを自分に求めているのですから、それこそ正気じゃいられないでしょうね。
毎日、いや一日一秒がプレッシャーとの戦い、初期には沸いて溢れたアイディアも今や産みの苦しみの連続。まさしくドラッグに頼らざるを得ないか精神病を患うかの背中合わせの状態...夜も眠れない、いや眠らない状態が続いていたのではと想像します。
007 '06,09,14 おっこるでーしかしー
ジョンが強度の近眼だったというのは有名な話ですよね。さてどのくらいの視力だったのかは定かではありませんが、あのレンズの渦巻きから察するに0.1以下は確実だったように思います。横山やすしと同レベルでしょうか?(笑)などと冗談を言おうものなら「おっこるでーしかしー」と返って来そうですね。
眼鏡を掛けている姿を写真に撮られるのを異常に嫌ったとされていますが、本当にそうだったんでしょうか?当時すでに眼鏡を掛けたスターは何人かいましたから。といって眼鏡を掛けてステージに立っているところを想像すると、やはりとんでもなく似合わないと思えますけどね。(笑)
008 '06,09,15 しょうゆ顔の外人さん
ジョンって確かに外人さん(笑)なんですが、らしくないというか東洋系の顔つきに見える時が間々あると思うんです。ジョージなんかはどう見ても外人さんの中の外人さんみたいな?濃い感じで解りやすいんですね。確かに眉と目が近くてカッコイイですもんね。だからか結構ジョージ・ファンってそういう彼の外見が好きだったりします(いや、そのように断定するとジョージ・ファンから叱られますね)かく言う私も初めの頃はジョージが一番好きでしたから。「Let It Be」で着ていた白いコットンのシャツを探し回った思い出があります(笑)ジョンって、言うなれば「醤油顔の外人さん?」でもあの鼻の高さって東洋にはないよね。
009 '06,09,16 ジョンのいないビートルズ
もし、ジョンがいないビートルズがあったらどうだったか...?あり得ますでしょうね。ポールを中心としたポップなグループでそこそこ行けたんじゃないでしょうか。でも、あまりにソフトですよね。強烈なスパイスが足りないというかパンチに欠けるというか、現行の地位は築けなかったでしょうね。でもポールが居なかったとしたらどうでしょう?恐らくビートルズの成功はあり得なかったでしょうね。ジョンは本来の才能を自ら見い出せず、また世間にも認められず、生涯ロック好きのやんちゃなアンちゃんみたいに、場末のライブハウスを転々としていたのかも知れません。でも殺されずには済んだでしょうがね。
010 '06,09,17 即決
でもね、やっぱりジョンはビートルズの中心だったんですよ。自分が親分で鳴らしていたクオーリーメンにポールを入れるか入れないかで悩んだとジョンは言っていますが、んなこたぁーないと思います。
即決です、即決。ポールが歌う「トゥエンティ・フライト・ロック」を聴いた瞬間、コイツだと思ったに違いありません。すぐに誘えなかったのはクオーリーメンのリーダーとしてのジョンのプライドに過ぎなかっただけで、彼は突然飛んできた幸福の矢を見事に掴んだのだと思います。こいつがいれば千人力、また、ポールの才能の刺激によって今まで気付かなかった自己の才能をも開花させて行くのです。
011 '06,09,18 ガニマタスタイル
 リッケンバッカーの選択のところで、ジョンはええかっこしーだからと述べたら、タケヨンさんから「じゃ、ええかっこしーのジョンが何故あのガニマタスタイルで歌ったのでしょうね」と疑問を投げかけられました。
う〜む、確かに今じゃジョンを表現するにはコレが一番と言うスタイル。私が思うにはあれはジョンが試行錯誤して考え出したモノなんだろうと思います。「All My Loving」の6連符に専念する時の足を閉じて斜めに構えるスタイルなんてとても美しいです。本来は観客から見たスタイルがどう見えているかは承知の上で、より心に残るアクの強いスタイルを試行錯誤するうちにたどり着いた結論だったのでは?
012 '06,09,19 十字架
 と来れば出てくるのが、お馴染みJ-160Eのギターを強烈な迄に高く抱えるスタイル。あれは何故?あれはハンブルグ時代に1度しか出演する事の出来なかった「トップ・テン」という店での出来事。そこに出演していた東洋人と見られる歌手のスタイルに影響されたのではないかと思われます。ジョン若干二十歳の頃のことであります。その歌手は小柄ながら小さめの見たこともないようなエレキギターをこれでもかと言わんばかりに高く抱え上げて歌っていたと言い、ジョンにはこの姿が十字架に見えたと言います。
「オー・ジーザス!クライスト」その東洋人の名はバタヤンこと田端義男。お解りでしょうが冗談ですよ。
013 '06,09,20 ぼくは不安に思うことなんか、何もない
何故オノ・ヨーコだったのか?彼女は妻というより母であり、それ以上に同士であったのでしょう。ジョンは彼女に自分の姿を見たのではなかったのでしょうか。例えば「自己愛」彼等二人を見てまるで双子の兄弟のようだったと表現した人がいましたが言い得て妙といいますか、上手い表現だったように思います。
この時のジョンはまるで少年というか母を慕う幼子のようでしたね。そこら辺りは普通とは言い難いジョンですが、このヨーコと結婚した頃からのジョンの顔には安定した自信のような感じが見受けられるように思います。「これで、僕は不安に思うことなんか、何もないんだ」みたいな...いや、違うかも...
014 '06,09,21 だいじょぶだぁ
ジョン大丈夫かー?そう聞いてしまいそうになるのが、この頃のジョンです。ただし確信のない私的な意見ですが...前妻のシンシアと離婚寸前にジュリアンと共に写した写真がこの表情。かなり来てますと言うか生気のない病人のような表情です、ドラッグの後遺症だと思います。「レディ・マドンナ」「ヘィ・ブルドック」を録っている、まさしくその頃ですね。オノ・ヨーコと知り合い、おそらく同棲状態で家にも殆ど帰ってなかったんでしょう、シンシアと息子ジュリアンとオノ・ヨーコの狭間で揺れ動き悩み続けていたのでしょうか?いや、気掛かりはジュリアンだったように思います。自分の生い立ちがそうであったように。
015 '06,09,22 アイーンなワケ
カメラを向けられるとよくやったこういう表情。意外にはにかみ屋さんだったのではと思います。コンサートでポールのMCの時、ジョンはよく脳性麻痺の人のマネをして手を叩いたり、足を踏み鳴らしたりしていましたね。ポールはそのことについて、ジョンがそうしなければ正気を保てなかったからだと擁護意見を述べていますが、その実どうだったのでしょうか?もとよりジョンはそういった障害のある人達をよくからかった事があったと記された文献もあるようですが。ただ、そういう障害のある人を利用して彼等に近づこうとした人達がたくさんいたのは事実で、その人々に対してのアテ付けのような意味もあったのではと思います。
016 '06,09,23 ジョンはなんでも知っていると思っていたが
これはリンダ・マッカートニーが撮ったジョンの写真です。物憂げに考え事をしているような表情ですね。いつ頃の写真か定かではありませんが、顔に生気が感じられません。
『ジョンはなんでも知っていると思っていたが、もちろんそうではなかった。私たちとおなじように傷つきやすく、有名であるがゆえにストレスや緊張感をたくさんかかえながら生きていかなければならなかったのだ。それはジョンにとって、耐えられないものだったろう。しかもその状態があまりに長く続いた。とは言ってもジョンが偉大な人間だったことに変わりはない』 by リンダ・マッカートニー
017 '06,09,24 俺様はビートルズのジョニーだ
その通りでしょうね。リーダーとしてだけではなく、ビートルズの他のメンバーさえもファンだったジョン。
まさに強烈な牽引車となりビートルズを引っ張って来た男は、他のメンバーから見れば何でも知っている、何事にも動じない強い兄貴に思えていたのでしょう。「俺を誰だと思ってやがるんだ!俺様はビートルズのジョニーだ、文句があんなら、どこからでもかかって来な!」しかし、そうではなかった。人間は自分が踏んだ人生以外の事を知る余地はないわけです。でも、彼ほど繊細で傷つきやすい精神構造の人も珍しかったのでは...故に強がってみたり、悪びれたり、おどけてみたりしていたのかも知れません。
018 '06,09,26 だからこそジョンはみんなをわくわくさせた
ジョンは常に前向きに考えるんだ。それが彼の最高の資質だった。刺激的でちょっと無茶しそうなパートナーを持つと心強い。例え話で説明すると、ジョンは崖から飛び降りることを勧めるタイプ。彼なら『崖っぷちまでやって来て、さてどうしようと思うなら、飛び込んじまえ!』と言うだろう。ジョンはいつでも飛び降りる男、命知らずな男なんだ。常により大きく、大胆に、輝く方向へと向かう。だからこそジョンはみんなをわくわくさせたんだ。僕らはそんなハイ・リスクを背負う男に惹かれるんだよ。ジョンはそういう人だった。その点が僕とジョンとの最大の違いだね。僕は常に意識的な決断を下すんだ。 by ポール・マッカートニー
019 '06,09,27 ヨーコとの馴れ初めは
ジョンが初めてヨーコと出会った時のこと、ジョンはインディカ・ギャラリーでジョン・ダンバーからヨーコを紹介された。ジョンは天井に貼りつけられた絵に興味を示した。白い踏み台に乗って近づくと小さな文字で何かが書いてある。鑑賞用に吊り下げられた虫メガネを使い、そこに‘Yes’の文字を発見してジョンはいたく感動した。ジョンが同じく興味を示したのは、『釘を打つ絵』という1961年に始まったヨーコの作品シリーズの6番目の作品だった。ジョンが釘を打ち込みたいと言うと、ヨーコは翌日の正式なオープニングまで作品をまっさらにしておきたいと断った。
020 '06,09,28 意外とジョン優位だった(笑)
ダンバーはジョンに釘を打たせてくれるようにと頼んだが、ヨーコはジョンから5シリングの代金を徴収すると答えた。「じゃあ、僕が5シリングを払ったと想像して、僕が釘を打ったと想像してはどうだろう?」と展覧会の意図に合わせてジョンは応酬した。この応酬がヨーコには余程効いたのだろう、ジョンが展示を見て周る間、ヨーコはずっと彼と腕を組んで作品を説明し、ジョンが帰ろうとすると、自分も連れて行ってくれと頼んだ。三日間眠っていなかったジョンはケンウッドの自宅に帰る途中だったので、丁寧に断りを言ってから運転手付きの黒窓のSSクーパー・ミニに乗って走り去った。
021 '06,09,29 ジョンのリッケンのアームの謎
ジョンに限らずですが、なぜ彼等のギターにはアームが付いていたのでしょう?ジョンの2本のリッケン、ジョージのグレッチとカジノなど。しかし、不思議なのは彼等がアームを使った曲の無いこと。ポールは「Anoter Girl」で自身のカジノでアームを併用していたと思いますが、リズムギターのジョンにアームが何故必要だったのでしょうか?彼は最初のリッケンに付いていたコフマン・バイブローラーというユニットのアームが弾く手に当たるのが不満でビグズビーのB5ユニットに交換していました。当たるのならアームのみを取っぱらえばよいものを、わざわざ取り替えるとは、やはりカッコ付けだったのでしょうか?(笑)
022 '06,09,30 メンバーの幻滅
ジョンがヨーコと付き合い出し、行動を共にするのだと宣言し、セッションにまで同行させたことについて。
この頃の他の3人は驚いたに違いないでしょうね。今まで機関車のようにしっかりと自分達を引っ張ってくれたリーダーのジョン兄貴が、ワケの解らん東洋人の女にホネ抜きにされている。アバンギャルドなどと銘打ちながら実は薬に逃避する毎日、挙げ句は二人してヘロインにまで手を染める始末。他のメンバー達は幻滅しながらも、かなり心配だったと思います。「どうしちまったんだ!目を覚ませ、目を覚ますんだ、ジョン!」ポールら3人は苛立ちながら心の中で何度も叫んだのでしょうね。
023 '06,10,02 ヨーコさん
それにしても夫婦でヘロインに走るなんてのは尋常じゃないというか、もの凄いですね。夫婦して完全にブッ飛んじゃってます。芸術性を高めるやら発想を高めるからとは言っても、やはりクスリはクスリ。
そのようなものに頼るのは健全じゃありませんよね。青少年に対して示しが付きません。ヨーコさんも今じゃ専らまともな事を並べられて、様々な平和活動ならびにボランティア活動、またジョンの遺産を役立てての奨学金制度を立ち上げるなど、色々と世の中に貢献されているようですが、結構無茶やってたんですね。現在でならアートだと言って二人してお互いの体全体にタトゥーを描きまくるようなものかも(汗)
024 '06,10,05 ジョンのファッションセンス
ジョンは帽子が好きでしたね。色んなタイプの帽子を被った写真が残されていますね。ポールはどうも帽子が好きじゃなかったらしく、個人的な帽子を被っている写真は数枚かしか見たことがありません。
ある人に言わせると、ジョンってファッションセンスも良く、その辺りには無頓着なポールのファッションにはいつも助言していたのだと言います。「ポール、そのジャケットにその色のタートルはおかしいだろ」
さすが絵が好きで美術学校に通っていたジョン。サイケなファッションもかなり奇抜な組み合わせであったり、色使いであるのですが、それがヘタウマというのか外し処が格別でカッコイイんですね。
025 '06,10,06 コンサート活動停止のきっかけ?
日本公演での「Nowere Man」ありゃあ凄かったですねー、やる気まるっきりナシ。チューニングは甘いし演奏も??おまけにジョンは歌詞間違いっぱなしの散々なライブでしたね。世界ツアーでの連日のライブ、そりゃあイヤにもなりますよね。しかし、どうあれ「オラー、お前ら日本をなめとんのかー」と言われても仕方のないような出来ではありました。日本公演は彼等の意に反してあまりにも静かで、彼等自身の音が完璧なまで聞こえ、演奏、コーラスのまずさを自覚したというか(笑)この公演がコンサート活動停止のきっかけになったのではと言う人もいるくらいです。たぶん違うとは思いますが信憑性のある話です。
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