0〜25 26〜50 76〜100
051 '06,11,13 キリスト発言
キリスト教は滅びるね。だんだん下火になってそのうち消えてしまうさ。
俺の言ったことが正しかったとそのうち証明されるよ。
今じゃ、俺たちのほうがキリストよりも有名さ。
ロックとキリスト教とどっちが先にくたばるか楽しみだね。
キリストは正しかったけれど、その弟子たちがバカだった。
俺に言わせりゃあいつらがキリスト教をダメにしたのさ!
052 '06,11,14 一人が抜ければ...ビートルズは解散
もし何かが起きたらというテーマでデスカッションする事もあるし、話に熱が入りすぎて喧嘩みたいになる事もある。でもそれが原因で袂を分かつなんて事になるような深刻な喧嘩はしない。いつもちょっとしたいさかい程度だな。もっとも一度だけリンゴが病気になった時は、解散するかそれとも一時の穴埋めに臨時ドラマーを雇うかで随分もめたもんさ。結局、別のドラマーをバンドに加える事になった。彼は優秀なドラマーだったけど、なんかイヤだったな。その時以来、僕らは生涯賭けた仲間だと確信したのさ。だから、誰かが一人仲間から抜けたら、後の三人もそこで仕事をストップする。つまりバンドの解散てこと。
053 '06,11,15 A DAY IN THE LIFE
中期には珍しくジョンとポールの二人の曲を合体した曲です。ジョンの曲のミドルにポールの曲を挿入しオーケストラで繋ぐというもの。レコーディングは総勢40名とも言われたオーケストラ編成。
その演奏の4回分を1つにまとめたものを作り、出来上がりは延べ160名の大編成となってます。その日のレコーディングは大騒ぎで、ミック・ジャガーらビートルズの友人たちが集まり、パーティー仕立てで行われ、オーケストラの面々もタキシード姿におかしな装飾を付けさされました。この模様はプロモーション・ビデオで確認できますが、力いっぱいドラッグを連想させる編集で、イギリスでは当時放送禁止に。
054 '06,11,16 A DAY IN THE LIFE−2
歌詞は、ジョンが読んだ新聞の記事を元にイメージを膨らませたというのは有名な話ですが、その資料を見てさらに驚いたのは、その新聞が1月17日のデイリー・メール紙であったという事です。この曲のレコーディングが開始されたのは1月19日です。という事は、なんと新聞の記事を読んでからたったの2日後にはレコーディングを開始していたという事になります。私は曲など作れませんが、プロのミュージシャン、作曲家でも、このように作りはじめてから2日後にレコーディングをするというのは考えられないと思うのですが。いやはや、「インスピレーション」というか、「ヒラメキ」というのは、こういうことなのでしょうか?
055 '06,11,17 A DAY IN THE LIFE−3
ジョンのベスト・ヴォーカル曲を上げるとするならば、私はこの曲が3本の指に入ると思っています。とは言え完全なまでに私的な意見ですが(笑) この曲のヴォーカルの収録って、たった1回きりだったと言います。ジョージ・マーティンが以前「アンソロジー」の中で語っていました。出来上がったすぐの曲を、それも1テイクでOK...凄いですね。でもこのヴォーカル、確かに聴けば聴くほど、そういう感じが良く解ります。鬼気迫るというかジョンのこの曲に対する想いが伝わって来ます。以前、私もこの曲を収録し、何度も歌をやり直しましたが、結局、満足の行くものにはほど遠いものに終始した覚えがあります。
056 '06,11,18 ナーク・トゥインズ
1960年4月、ジョンとポールはナーク・トゥインズ(Nerk Twins)というデュオを組み、バークシャーのカバシャムにあるパブに出演したとい言います。そのデュオ・グループが復活したのは9年後の1969年の『ジョンとヨーコのバラード』のレコーディングでした。リンゴはピーター・セラーズの新作映画で撮影中、ジョージは国外に出ていたそうで、そこで8トラックの機材を使っての多重録音。彼ら二人だけでもビートルズ・サウンズになっているのは少し皮肉ですが(笑)よく聴いてみると、ジョンがエンディングのリードのリフを口ずさんでいるのが聞こえます。ジョンにとっては楽しい思い出の1曲に違いなかったようです。
057 '06,11,20 ヨーコは世界一のPRウーマンだ
ジョンの名言にポールについて語った言葉の中に「ポールは世界一のPRマンだ!」というものがある。
これは1969年にデイリー・ミラー紙上で公表されたポールのビートルズからの脱退宣言に関してなされたものだ。しかし、それ以上に凄いPRマンはヨーコだった。1980年の10月9日のジョンの誕生日にマンハッタン上空にプロペラ機を編隊飛行させて”HAPPY BIRTHDAY JOHN + SEAN WITH LOVE YOKO”というメッセージを書かせた。全長数10キロにもなったメッセージにマスコミも飛びつき宣伝効果は抜群だったが、超高額の請求書を見たジョンは恐れをなして、2度とやらないようにヨーコにクギをさした。
058 '06,11,21 体を張った世紀のビック・イベント
ヨーコに素晴らしいPRの才能があろうとジョンの誕生日にジョンとの子供を出産する事はたいやすいことではない。可能になるのはジョンの誕生日に生まれるように医学的な処置をした場合に限られるが、ジョンが従兄弟のリーラ・ハーヴェイ医師に送った手紙の中でショーンが2月7日に宿ったという記述がある。となると単純に10月10日だから11月17日に出産予定となる。?その頃ジョンはみんなに11月に出産するとふれ回ったらしく、リンゴは11月と彫った指輪をジョンに贈っている。何はともあれヨーコが帝王切開でショーンを出産した事実を前提に考えると、ヨーコが体を張って仕組んだものだと言える。(怖)
059 '06,11,22 ヨーコ・オノ
先日お昼のワイドショーにオノ・ヨーコ氏が出演しインタビューを受けてました。ジョンと知り合った当時や結婚した時の事を思い起こすように語っていました。彼女いわく、ジョンと結婚した事で全世界を敵に回した。全てのビートルズファン、ジョンのファンから嫉妬されたと彼女は言っていました。ジョンを洗脳し、ビートルズを解散させた魔女のように言われ、嫌われたと...でも、嫌われた原因ってはたしてそうでしょうか?もっと単純で解りやすい処に嫌われた要因はあったのではと思います。東洋人というのもあったでしょうが、やはり差し出がましい行動に尽きるのではと思います。ジョンには悪いが未だに嫌いです(笑)
060 '06,11,23 私はビートルズ・ファン こういうファンも結構多い
よく解らないんですが...ビートルズ・ファンって読んで字の如くですけど、ビートルズのファンですよね(笑)だからメンバー個人より、やはりビートルズとして活動していた時の彼等が好きなんですね。私は特にジョンのファンですが、だからと言って解散後の彼の曲やアルバムに対してどれくらいの思い入れがあるかと問われると、「ん〜」としか応えようがないんですね。確かに好きなんだけれど、やはりFab4としてのビートルズには敵わない。ビートルズに居た時のジョンのファンであると言った方が的確なんでしょうね。しかし、裏を返せば過ぎ去った幻影を追い求めているだけに過ぎないのかも知れません。
061 '06,11,24 ホワイト・アルバム 好きな人にはたまらないアルバム
通称「ホワイト・アルバム」 当時は散漫でまとまりがないだの、何をやりたいのか解らないだのと、散々こき下ろされたアルバムですが。今となってはこのアルバムの存在意義が輝かしいものになっていると、個人的に、あくまで個人的に思っております。このアルバムの前後をじっと見つめていると、良く解ります。これがあってこそ「Let It Be」があり、ましてや最高傑作と呼ばれる「Abbey Road」が出来たのだと思います。各自がソロのように作ったと言われるこのアルバム。これ以前とも以後とも違う独特の雰囲気というか、この後を見据えたような実験的な音楽という感じがする処に魅力を感じるのでしてしょうか。
062 '06,11,27 Because! 
ビートルズの曲の中には様々な音や声が入っていたりしますよね。話し声であったり、時には咳であったりと。彼等の人柄というか、なんかレコーディングの楽しさまで伝わって来る気がします。そんな中、ちょっと気になる声(音)が...少し前に「Come Together」を録音していた時ですが、間奏の終わりの2:31のところで右から微かに聞こえるジョンのシャウト。私には「Because!」と叫んでいるように聞こえるのです。
これはひょっとして「Happiness Is A Warm Gun」の最後のシャウトかと思うのですが如何でしょう?
ホワイト・アルバム時の収録で不要なテープを使い廻ししたなんてこと、実際にあったのでしょうかね?
063 '06,11,28 解散後の作品つくりについて
ジョンの意見によれば、ビートルズのナンバー中最悪の曲は"It's Only Love"だそうだ。突然のインスピレーションから出来た曲が最高だと彼は言う「僕は座ってすぐ書き始めることが出来るんです。オズの雑誌の人が来た時、大急ぎで"カッド・セーヴ・アス"を書き上げたようにね。あれは大して良くなかったが、50%の出来具合だな。なんとなく出来たのがいいんです」ジョンは相棒を失った事をそれほど残念だと思っていないと言った。「ここ2年ばかり自分一人でやってますからね。ただアレンジメントは必要なのでジョージやニッキー・ホプキンスの処に曲を持って行くんです。ヨーコとも一緒にやってます。
064 '06,11,29 収入の差
記者 「収入の点では、ちょっと差が出てきたね。ジョージ、リンゴよりかなり余計に収入があるが、このことは気にならない?」 ジョージとリンゴは「別に気にならない」と口々に返す。
ジョン「ポールと僕が歌を作る仕事から得る収入は他の収入を全部合わせたのより多いんだ。事実、はるかに多い。これまでずっとそうだった。だから当然ジョージやリンゴよりも金まわりはいい。でも、別にそんなこと問題にならないよ。ジョージとリンゴだって一生遊んでたって食っていけるだけのものは持っているんだから。その点では僕らと同じさ。つまり、お互いに差がないことになる」
065 '06,11,130 マハリシとの決裂
マハリシがミア・ファローを含む数人の女性に近づこうとしたとか、そんな類の噂が出て大騒ぎになったんだ。僕等は本当か嘘か、一晩中寝ないで論議した。ジョージが本当かも知れないと思い始めたから、僕もきっと何かあるに違いないと思い、僕等はマハリシに会いに行ったんだ。
僕等はみんなで彼の小屋に押しかけた。山の中の、すごく豪勢に見えるバンガローにね。例によって、こういう嫌な仕事になると、僕がリーダーにならなきゃならない。どんな場面であれ、核心に触れることは、僕が話をつけなきゃならないんだよ。
066 '06,12,01 マハリシとの決裂−2
「僕等は出ていきます」 「どうして?」 「そうですね、あなたがそれほど普遍的な存在というなら、おわかりでしょう」彼の取り巻きはみんな、彼は奇蹟を起こすとほのめかしていたからね。僕は続けた「理由はおわかりですね?」彼は「いや、わからない。教えてくれ」と言う。僕は繰り返した「わかっているはずです」
彼は『野郎、殺してやる』と言いたげな顔で僕を見た。ほんとにそんな顔をしたんだ。そのとき、彼の表情を見て確信した。僕は彼のはったりに挑戦してみたんだ。彼に対して少し求め過ぎていたかも知れない。僕はいつも求めるものが大き過ぎるんだ。いつも母を求めているけど得られない、それと同じさ。
067 '06,12,02 マハリシとの決裂−3
しかし、この騒動、ジョンの話を鵜呑みにするワケには行きません。マハリシは鼻っから自分を神だと言ったことはなく 実際、彼が言ってたのは、それとは正反対のことで「私を神様扱いしないでくれ。私は瞑想を教える者に過ぎないのだから」だったということです。ポールに言わせると「女性に触れちゃいけないなんて、取り決めも何もないだろう? 彼は僕らに貞節を誓ったわけでもないだろう? だから、僕にはそれだけがセンターを離れる根本的な理由だったと思えなかった。それが立ち去る理由にならないとは言わないけど、実際は、あそこを抜け出す言い訳をジョンは欲しかったんじゃないかと僕には思えた」
068 '06,12,03 Doctor Robert
「Doctor Robert」も僕の曲だ。ほとんどドラッグ、覚醒剤のことだよ。自分のことを書いたのさ。
ツアーに覚醒剤持っていってヘロヘロになってたのは僕だ。まあ、初期の頃だけどね。
そのうちローディがそういうことをやるようになった。
僕等はばらでポケットに入れてたんだ、トラブルになった場合を考えて。
069 '06,12,04 ポールとの思い出
ポールに引き合わせてくれたのはアイバン・ボーンだった。アイバンが言うには「ポールはいつも音楽に夢中で、僕等のグループにもひとりぐらいそんな奴がいてもいいんじゃないか」ということだった。アイバンは僕等がウールトンで演奏した日にポールを連れてきた。そのときのことは、ポールも僕もよく覚えている。その日は天気も良くて暖かい日だったから、お客もたくさん来ていて、クオリーメンは仮設ステージの上で演奏していたんだ。それは教会のガーデン・パーティで、僕がずっと好きだった「Be Bop A Lula」をステージで初めて演った日だった。アイバン・ボーンがポールを連れてきて言ったんだ。
070 '06,12,05 僕はあいつに惚れたんだ
「君たちふたりはウマが合うと思うんだけど」って。ステージの後、僕はポールと話をして、彼は楽屋でエディ・コクランの「Twenty Flight Rock」を弾いてくれた。こいつはすごい才能の持ち主だと思ったよ。
あいつは確かにギターが上手かった。僕はぼんやりと考えた。この男、僕と同じくらい上手いぞ・・・って。そのときまで、僕はバンドのリーダーだった。でも今、彼と組んだらどうなるだろう。もしポールを仲間に入れたら、僕は彼をいつも追いかけていなきゃならないかも知れない。でも、ものすごく上手だから仲間に入れる価値はあった。それに、エルヴィスにも似ていた。要するに、僕はあいつに惚れたんだ。
071 '06,12,06 Happiness Is A Warm Gun
ラジオで放送禁止になった曲のひとつだ。麻薬注射の歌だからという理由だった。だけどこれは、銃の広告が行なわれている状況は異常だと思って作った曲なんだ。ヘロインとは無関係だよ。ジョージ・マーティンから雑誌を見せてもらったんだ。"Happiness Is A Warm Gun(幸せとは温かい銃)"と書いてあったんだ。これはひどい、正気の沙汰じゃない、と思ったよ。銃が温かいってことは、何かを撃ったばかりってことだからね。僕はこの曲が大好きだ。美しい歌だと思う。3つの別々の曲をつなぎ合わせてひとつの曲を作ったんだ。あらゆる種類のロック音楽を駆け抜けているみたいで、どの部分も好きなんだ。
072 '06,12,07 まるで映画のような曲
「Happiness Is A Warm Gun」ジョンが自画自賛している曲ですが、私も大好きな1曲です。この曲ってリピートが一切ない曲なんですね。物語というか映画みたいに違うメロディが次々と流れて行きます。
どんどん突き進んで言って最後の方はジョンのシャウトになり「yeh〜」とドラムで締めくくられます。なんか終わった途端に拍手しそうになるんですね(笑)高校時代にかなり聞き込みました。確かに曲調がコロコロ変わるのが楽しくて、よく唄ったモンです。で宅録するにはこの曲調、テンポが変わるのが災いしてというか、ドラムの打ち込みが面倒なんで、未だ手つかずの状態です。いつかは演りたい1曲です。
073 '06,12,08 ビートルズの語り部、ポール
幼い頃両親に見放され叔母さん夫婦に育てられた不憫な生い立ち。片田舎の港町のどうにもならないような不良ジョン。僕達は今やキリストよりも人気があると言い放ったジョン。その言葉通りに今では完璧なまでにカリスマとして祭り上げられたジョン。40歳という若さで無理矢理人生を終わらさせられたジョン。
これから、もっと、という想いが彼にはあったに違いない。しかし、彼は老いない。時間が経つにつれ彼のカリスマ性はさらに進化し神格化して行く。神がそういうストーリーを書いたのか、いや、誰も知るよしはないが、語り部として老いながらも生き長らえるように定められたようなポールには一抹の悲しさを覚える。
074 '06,12,09 新作「LOVE」?
確かにジョンが亡くなったのは12月8日ですが、それはアメリカ時間でのこと。私一個人としては日本時間の12月9日として偲ぶことにしています。とは、まったくどうでもいい事なんですが(笑)早くも26年が経ち、現在では先日発売されたNEWアルバム?「LOVE」が何かと取り沙汰されています。賛成派あり反対派ありの様々な意見が飛び交ってますが。しかし、どんな作品であっても「精神性」のないものは作品ではありません。そういう意味で「Love」は作品ではないわけで当然オリジナルを超える何かはどこにもありません。で、当のジョンご本人はどう思っているのでしょうね。「ま、ま、ええんちゃうのん」by ジョン(笑)
075 '06,12,10 モノ・トーンな音楽?
ジョンの音楽は決して退屈することがないが、そのほとんどの部分は文字通り退屈なモノ・トーンだった。彼は不思議な素晴らしい歌詞をひとつかふたつの音に乗せて歌を作るのが好きなのだ。「目を閉じれば楽に生きていける・・・」、「きつい一日だった・・・」、「僕は彼、君が彼であるように、君が僕であるように、僕らはみんな一緒・・・」すべてがモノ・トーン、あるいはそれに近い作品である。彼が優れているのは、こうしたモノ・トーンのうしろにハーモニーを入れて変化をつける点だ。これによって、素晴らしい歌が退屈にならずにすんでいる。それは足元の地面を動かすようなものだ。by ジョージ・マーティン
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