私が愛してやまないビートルズ、そしてジョン・レノン。そのジョンに対しての気持ちを書くはずが、ビートルズを題材にした、
当人の回顧録になってしまいました。単なる一人の人間の戯言に過ぎません、不快に思われる方は読まないようお願いします。
拝啓、敬愛なるジョン・レノン様 Q
第18話 SELTAEB御難!
 ラストコンサートも終わって一段落したあと、僕達はセッションすることもなくなり、武澤君は専門学校へ通い出し、荒木君と僕とは就業に専念していた。ター君はと言うと単位不足で進級出来ず1年生をもう一度やり直す事になっていたのだが、つまらないので学校をやめると言いだした。卒業までなんとか頑張れと3人で説得したが、結果はどうにもならず彼は退学してしまった。
それから3ヶ月ほど過ぎた頃だったか、僕は何処かで開かれるコンサートがないかあちらこちらの市民会館などを尋ねて廻っていた。区切りをつけたとは言え、やはり僕は諦め切れなかったのだ。何箇所か廻るうち僕は天理市の市民会館にたどり着いた。
受付で先の使用予定を聞くと1つだけロックコンサートをやる予定が入っているとの事で、僕がその旨を伝えると快く申込者の連絡先を教えてくれた。その夜さっそく電話してみるとその人は看護婦さんで、これまた知り合いに頼まれて申し込んだのだという事だった。僕がそのコンサートに出演したいとの意向を告げると、責任者に連絡して向こうから電話させると言う。2日ほどたってからその責任者から電話があり、その2日後に会う約束をした。もちろんデモテープを持ってだ。
待ち合わせは駅前の喫茶店だった。現れた責任者は小倉さんという関大の大学生で痩身の長髪に口髭を蓄えたいかにもミュージシャンという出で立ちの人だった。彼は「オリーブ・オイル」という音楽サークルを企画し、自らは「オリーブ」というバンドを結成してリーダーとして活躍している方で、僕からみると凄く大人だった。彼等は当時流行っていたイーグルスやドゥービー・ブラザースなどのウエスト・コーストを好んでやっていると言っていた。
彼と会った次の日に電話があり、出演OKとの返事をもらいった。ただしキャロルのコピーバンドが他に1組いるので、曲がかぶらないようにキャロルの曲は演奏しないというのが条件だった。
コンサートは一ヶ月後でである。僕達は久し振りにセッションを再開した。選曲は条件に従ってすべてスタンダードナンバーにすることにした。
このロックコンサートは天理市民会館の大ホールを借り切っての本格的なコンサートだった。ホールも音響から照明まで備わった完璧なコンサートホールである。この2年後にエーチャンがここでコンサートしたくらいだから(その時ター君は前座で出演した)市民会館とはいえ立派な音響設備だったと思う。出演するバンドは8組で僕達は4番目だった。
この日の僕はいつになく不安と言うか、得体の知れない嫌な胸騒ぎを感じていた。
ステージにはこれでもかと言わんばかりにタムを並べたフルセットの煌びやかなドラムが置いてある。
「お、俺...あんなぎょうさんタム付いたるドラムよう叩かんぞ」

荒木君が舞台袖でぽつりと言った言葉に3人は大爆笑してしまった。
「全部叩かんでもええがな、自分が思う分だけにしときぃな」しかし、この荒木君の言葉は時すでに後に起こりうる悲劇を予兆していたのである。
オープニングは「グッド・オールド・ロックンロール」である。ステージに向かって照らされるライトは強烈な逆光となってステージ下で見ている観客すら確認出来ない程だ。真っ白な光の塊に向かって演奏し歌うというのはこの上ない至上の快感である。僕はこの時初めて音声モニターの恩恵を受けて感動した。凄いっ、自分の声が凄くよく聞こえる。これは気持ちいい、もの凄く気持ちよく歌える。気持ちよく3曲を終えた4曲目、この日感じていた不吉な予感が的中した。演奏中にトップシンバルの音が聞こえなくなったので変だなと振り返った瞬間、ドラムの荒木君と目が合った。
なんと彼はスティックを飛ばしてしまったのだ。驚く僕の顔を見て一瞬どうしょうという面持ちの彼でしたが、どうしようもないと思ったのだろう手でトップシンバルを叩き始めた。これには僕も驚いたというか大笑いしそうになったのだが、ライブ中に笑うわけにも行かず必死で堪えた。ちょうど間奏の部分だったのでター君がスティックを拾いに行き荒木君に渡した。

当初から荒木君は緊張していたのだ。本来は予備のスティックを用意しておくべきなのだが、幸か不幸か今まで一度たりとも飛ばした事がなかったので予備を置くことなど頭の片隅にもなかったのだと思う。強烈な照明と緊張で手に汗をかいていたのだろう、勢い余ったスティックは無惨にも回転しながら飛んで行ったようだ。なんとか平静を装い次の曲になったのだが、この時また信じられない事が起こった。今度は武澤君のギターを吊っているストラップが外れたのだ。ギターのトップ側の方だが、武澤君、外れながらも弾き続ける。すぐさまター君がリードをやめて駆けつける。ター君みんなのお世話に大忙し。ストラップをピンに掛けて一安心と思いきや、次はエンドピン側が外れた。なんということ!と呆れながらも僕は歌い続けていた。今度はなかなか掛かりにくいようだ、あれやこれやするうち、とうとう両方とも外れてしまった。武澤君真っ青。
何をやっているのだと腹立たしい反面、僕は腹の中の腸が全部よじれるかと思うくらい笑いそうになったがライブ中である、これまた必死で堪えた。
曲が終わってやれやれという体で仕切直し、残る3曲はしっかりと演奏し切った僕達だった。今でもあの光景を思い出すと、格好悪くて恥ずかしいとの思いもあるが、それ以上に笑えてならない。
この「オリーブ・オイル」企画のコンサートは翌年「8.8ロック・サマーコンサート」と称してして開催され、単発的ではあるが、僕達もそれに出演することになる。


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