私が愛してやまないビートルズ、そしてジョン・レノン。そのジョンに対しての気持ちを書くはずが、ビートルズを題材にした、
当人の回顧録になってしまいました。単なる一人の人間の戯言に過ぎません、不快に思われる方は読まないようお願いします。
拝啓、敬愛なるジョン・レノン様 @
第1話 ビートルズいまだ遠し
 僕が「ビートルズ」という言葉を初めて耳にしたのは、確か小学校の5年生頃だった。ということは1968年ということになるが、今から思えば日本公演もとうに過ぎ、ホワイトアルバム制作中の皆てんでんバラバラ状態だった頃だ。本来はこれ以前から耳にしていたとは思うが、記憶に残っているのはこの頃が最古なようだ。
「ビートルズは凄い!」「ビートルズはいい!」僕の周りの同級生からそのような言葉を聞いたことはなかった。聞いたのは、やはり年上の中学生、高校生が話しているのを耳にしたり、TV番組の何処かで誰かが言っているのを聞いただけで、実際は見たことも聞いた事もなかったのである。

そんな頃の僕は、何曜日かは忘れたが、毎週TVで放映される「モンキーズ・ショー」がお気に入りで、歌ありコントありのこの番組を楽しみにしていた。馬鹿馬鹿しいアメリカン・コントの番組だったが、モンキーズの4人が繰り広げる寸劇以上に、演奏して歌うというシーンに新鮮さを感じたものだ。
「ビートルズ、ビートルズって、なんぼのもんじゃい、きっとモンキーズの方がいいに決まってる」天の邪鬼な僕はビートルズを知りもしないのに、頑なにそう思おうとしていた。しかし、皆がそう言うのだから、きっとビートルズって凄いのかも知れないな..という醒めた部分が心の片隅にあった事も確かだ。

その年の12月だったと思う、TVのロードショーで「Help!」が上映されたことがあった。「これはビートルズからのクリスマスプレゼントです」などと次週予告で淀川長治氏が言ってたのを覚えている。そこには画面でハチャメチャに動くビートルズが映っていた。
「へぇ、これがビートルズかぁ...」特に印象に残ったのはリンゴだった。あの綺麗なおかっぱ頭を揺り動かす仕草が印象的で、また顔も確かに印象的だった。他の3人の印象は薄かったように思う。とにかくビートルズ=リンゴというイメージだった。
見たいなと思いつつ、当時のGSなどに理解のなかった父親が、まして洋楽のビートルズの映画など見せてくれる筈はなく、結局見ずじまいに終わってしまった。もし、これを見ていたなら僕のビートルズ感染症はこの時点から始まったと言えたのだが残念だ。
それからの僕とビートルズは、さらに絡み合うことなく平行線を辿って行った。まるっきりと言っていい程関わりがなかった。
中学3年生になる前の冬頃から僕はギターを始めた。それは女子にモテたいと言う至って不純な動機からだったが、吉田拓郎が新生フォークを掲げて代頭して来た頃で、僕も他の男子生徒がそうであったようにフォークソングにのめり込んで行った。
「結婚しようよ」「今日までそして明日から」吉田拓郎、「出発の歌」上條恒彦と六文銭「帰っておいでよ恋人よ」アリス、「夢の中へ」井上陽水などなど、フォークソングのヒット曲が目白押しだった。
その頃の音楽雑誌と言えば「新譜ジャーナル」と「Guts」が双璧で、僕はどちらかというとGuts派だったと思うが、殆ど毎月購入していたように思う。フォークソングのみならず洋楽の新譜なども載っていた。「An Old Fashoned Love Song」スリー・ドッグ・ナイト 「Yes It's Me」エルトン・ジョン 「Holidays」ミッシェル・ポレナレフ 「Day After Day」バッド・フィンガーなどなど。
「女は世界の奴隷か」John Lennon ジョンがビートルズのメンバーだったとも知らずに、これは何とも凄いタイトルだなぁと思っていた記憶がある。フォークソングがメインとは言え、知らず知らずの内に洋楽が、そしてビートルズに近づこうとしているようだった。

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